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2006年1月24日 (火)

東儀秀樹さんのコンサート

ブログ開通しただけのまま年越ししてしまった。
このままでは1年に1度だけの限定ブログになってしまう。目標は最低月一度!

というわけで、新春(っていつだよ)第一号!
先日21日の土曜日、秦野市文化会館へ行ってきました。
東儀秀樹さんの新春コンサートです。

東儀さんの音楽を初めて知ったのはイタリアでのこと。 雅楽など日本では率先して聴く機会などなかったのに、何をきっかけにか日本にいる友人に頼み、東儀さんのCDとエッセイを送ってもらったのがはじまりです。
異国で耳にする母国の伝統音楽。普段の生活リズムと喧噪から離れ、心と体に沁み入るものがありました。
聴くというよりも、日本人としての過去(電気も動力機関もない昔)の空間を体験するような心地がした、とでもいうのでしょうか。
太古の記憶の体験とともに、音楽は際限なく広がり宇宙的でもありました。 星空から降ってくる調べを、昔の日本人は無意識のうちにとらえていたのかもしれません。 時間にとらわれずに生きていく術、というものをかいま見た気がします。

というわけで…帰国して間もない頃(去年の10月末か11月初め)、地元の広報(広報はだの)に、そんな東儀さんのコンサート開催の広告を目にしたら、そりゃチケットを入手しない訳にはいきません!
家族に加え、東京住まいの祖母まで巻き込んでやっと迎えたその日は、あの大当たりの大雪の日。
しかし、秦野は以外と(というかいつもそうだが)軽症。午後はほとんど雨。
悪天候にもかかわらず、1450人収容の大ホールはほぼ満席。

開演。生の東儀氏初体験の私は、ステージと客席に区切られた普通のコンサートを重い描いていました。
しかし。歌舞伎座新春公演のごとく、しょっぱなから客席も客も舞台となって華やかな幕開け!
東儀さんも客席側からしずしずとご登場。流れるようにステージへと歩みを進めて行くのでありました。
歩く姿が実に美しかった。

コンサートは二部構成。一部では伝統的な雅楽と、今は失われてしまった古代日本の伎楽(東儀さんのイマジネーションによる再現)との組み合わせを披露。
二部では、東儀さんオリジナルということで彼の作品や編曲作品がしっとりと構成されていました。

イタリアでテレビ番組コーディネーターをしていた友人が、レオナルド・ダ・ヴィンチを訪ねるロケで東儀さんと仕事をしたらしく(うらやましー)「どんな人だったー!?」と聞いたら「すごーくまろやか〜でいい人だったよおー!」という返事でしたが、その「まろやか」という表現がぴったりの人だと、今回のコンサートで実感しました。
歩く姿もさることながら、立ち姿、演奏の仕方、演出の美しさ、そして語り方と、どれをとっても東儀さんのまろやかさが伝わってきます。

ファンの方も多いでしょうからコンサートの細かい説明は省きますが、私にとって一番印象的だったのは笙のための曲「光降る音」。
星空をバックに、東儀さんが奏でる和音に包まれて三人のダンサーが踊るというもの。
このシーンを目にして私の目によみがえってきたのは、あのボッティチェッリの「春」でした。
薄い透けるような衣をまとった三美神が軽やかに舞うあの大作です。
東儀さんとのコラボでも、ダンサーたちはボッティチェッリほどの透け透けではないにせよ、とても軽やかな白い衣装をひらひらさせていました。
曲もまた、オリジナルとはいえパイプオルガンに着想を得たようなつくりで、この伝統的西洋音楽を彷彿とさせるメロディーと和音がまた一層ボッティチェッリへの連想を引き出したかのように思えます。
ウッフィーツィ美術館の薄暗い展示室で、これまた暗緑色の背景に浮かび上がる画面上部の白いオレンジの花が、東儀さんの背景にあった星のような輝きに対応していたような気がしてなりません。
そういえば、東儀さんの顔もまた、ボッティチェッリ描く瓜実顔の人物たちに似ていなくもないか?
ひょっとすると、イタリアロケでフィレンツェのウッフィーツィ美術館へも足を運んだのでしょうか?…と勝手に想像しています。

ところで私はダブルリード(ファゴット)吹きでもありますが、生で篳篥(これもダブルリードのはず)を初めて聴き、大変な感銘を受けました。
東儀さんもおっしゃっていましたが、篳篥は相当難易度の高い楽器とお見受けしました。
原始的な楽器だからこそ!
言ってみればグリッサンドをやって初めて篳篥といえる、ってところでしょうが、西洋の楽器じゃそれを普通としません(ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」はともかく)。
ファゴットは口と口の中の形は基本的に変えず、キーと穴を押して音出せばいい訳ですが(てそれでも難しい楽器ですよ、一応)、篳篥はそれだけじゃ成り立たないわけですね。あの音程をこなすのは腹筋も唇の筋肉も呼吸もおそろしい集中力を要求されるんだろうなと想像するとぞっとします。
あんなに小さい楽器からよくもあんなに大きくて張りのある響く音が奏でられるものだ、と感心しきり。
さらりと吹きこなしているその背景に、東儀さんの並々ならぬ基礎訓練が伺い知れます。

しかし、スポットライトの中で長身の東儀さんが笙のごとくすうっと立ち笙を奏でる姿は実に美しい!
それをこの目で確かめることができただけでも、生きててよかったと思いましたよ(単純)。
まあ、母も祖母も妹もコンサートには大満足で、よかったよかった(あの父でさえ眠りこけずにちゃんと見ていたらしい)。

東儀さんの自主公演は衣装も何もかも全てが手作り。
そのほうが安上がりだから、とご本人は笑いをとっていましたが、あれだけ行き届いた丁寧なコンサートは手作りだからこそ、なのでしょう。
まだ足を運んだ事のない方、是非おためしください。

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