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2006年3月23日 (木)

いつも心の隅に引っかかるもの

昨日・今日と(書いてるうちに日が変わってしまいましたが)日本は王ジャパンで盛り上がっていますが、そんな最中で決勝戦が始まる時間に家を出、渋谷区で開催されたNPO「地球村」代表でおられる高木善之氏の講演会(ハーフデイ・セミナー)に初めて参加しました。
前半は環境問題について地球の現状報告、後半は1981年4月27日に高木氏のそれからの運命を変える出来事となった、交通事故死(氏は5分間、この世の人ではなくなったそうです)にからむショッキングなお話でした。
定員300人の予定が約400人にふくれあがったそうで、会場はほぼ満員。
5時間近くにわたり話し続けた高木氏、さすがにお尻が痛くなりましたが、24時間以上経った今もあの講演会で耳にしたこと、感じ取ったことが強く心に残り続けています。

氏については、イタリア滞在時に数年前インターネットで「新地球村宣言」を目にし、そのままネットでその本を購入したのが出会いの始まりでした。
イタリアでわざわざ日本の本を取り寄せる事はほぼありませんでしたが、この本の内容は私に強烈なショックを与えました。
まだこの本を手に取っていらっしゃらない方、是非とも読んでいただきたいと思います。
新聞でバラバラと記事を目にするだけではわからない地球の惨状を一望するには、とりわけ日本が世界にどんな影響を与えた・いるのかを知るには大変コンパクトにまとまっており、誰もが少なくともひとつは初めて知ることが書かれています(私はその当時恥ずかしいほどに、何も知りませんでした)。

個人的な事を言えば、私自身は長い事、日本のモノにあふれた社会、ごみをせっせと量産する社会に途方もない疑問とやるせなさを感じており、こんな国にずっと居続けたら自分はどうにかなってしまう、と妙な焦燥感を持っていました。
そんな中、ひょんな事からイタリアの地を踏む機会が訪れ、ローマの美術館で修復という仕事を生まれて初めて目にしてから「美術修復士」という職業に尊敬の念を抱くようになったのです。
モノを新しく作り出すのではなく既存のモノを保存し後世に過去の記憶を伝えていくという、消費社会とは対極にある仕事は、その後何度かイタリア旅行をする度、私の中では意識されるようになっていきました。
そして、ある教会での出来事が、私のイタリア行きへの決心を突如として固めさせました。
その2年後、私はローマの修復学校で学生生活を再び始める事になったのです。
それが結果的には、その仕事よりももっと大きい世界、つまり地球の問題をさらに考えるきっかけをつくることになりました。
修復そのものが、私の原点ともいえる消費社会への疑問へ再び立返らせることとなった。
なぜなら、結局修復という仕事そのものが、今や経済中心の世界に巻き込まれざるを得ない、意識せざるを得ない姿へと成り果ててしまっていたからです。
イタリアはそれこそ、時代遅れの消費社会を今でも憧れ続ける国だったのでした。
もっと高い志が彼らにあったとしても、大方の人のどこかで想像力が枯渇している、あるいは偏っている、という感が否めませんでした。
経済とは一体なんのためにあるのか?

少なくとも自分が一生かけてやるのは美術修復じゃない。
こういった思いと共に、いつからか、西欧美術、ひいては西欧的思考というものに嫌悪ともいえるほどの反発心が芽生えてきてしまいました。
それからは、複雑な思いで(あるいは皮肉的な意味で)西洋美術に接するようになったかもしれません。
結果的には西欧世界に疑問を持ち続けながらも7年間、気が済むまでとことん居続けようと居続けたわけですが、西欧的思考の成れの果てともいえる事件が2001年9月11日に起こってからは、ショックとともに、その当時自分が抱いていた思いがさらに加速していきました。
その一方で、イタリア人の「人間としての原点を忘れない生き方」というものにも深く感じる場面が多々あり、西洋・東洋という単純な線引きでは見方を誤ってしまう、ということも実感として学びました。
まあそれは頭ではわかっていたことではありますが、結局のところ「無知ほど恐ろしいものはない」「さらに、ありのままに感知できないことほど恐ろしい事はない」ということが生活体験から得られた言葉です。

いずれにせよ、さまざまなことを体験した結果、今は日本に戻らなければ一生かけて追求していく事に集中しては取り組めない、と確信して帰国した次第。
帰国してみれば、日本は「ロハス」「環境」「自然」がキーワードとなる国になっていました。
さてしかし、本質的なところはどうなのか?

宇宙は、すべてひっくるめてひとつの生命体である。
まだ私にはそれを感じきることはできませんが、今地球上で起こっていることが自分自身と無関係ではないことはわかります。

「経済発展」を合い言葉に、人間は本当に幸せになれるのか?
「幸せ」とは何なのかーいつまでも人間が追求し続けてやまない問い。
高木善之さんはその回答を自ら導き出しました。

無我への道のりは一筋縄ではいきませんが、その境地を迎え、さらに乗り越えていくことができるよう日々勉強を続けていきたいものです。

 

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