« ヒヨドリ・その2 | トップページ | ローマ・パンテオンの驚くべき真実 »

2006年3月13日 (月)

ボッティチェッリは女性的?

イタリアルネッサンスの三大巨匠といえば、レオナルド・ダ・ヴィンチLeonardo da Vinci、ミケランジェロ・ブオナローティMichelangelo Buonarroti、ラッファエッロ・サンツィオRaffaelllo Sanzio。
でも、日本人が好きなイタリア人画家ベスト3はどうでしょう?
おそらく、ベスト3の中にはボッティチェッリSandro Botticelliが入るのではないでしょうか。

そのボッティチェッリについてはテレビ番組の仕事の関係で、フィレンツェのウッフィーツィ美術館館長を約20年務められた美術史家、ルチアーノ・ベルティLuciano Berti氏にお目にかかった際にいくつか伺ったことがあります。
1922年生まれの氏は一見かわいらしいおじいさん、という感じではありますが、一度イタリア美術の話になるや否や、眼光鋭く声までもが力強く一変するのでした。
お目にかかった当時は82歳というご高齢にも拘らず、執筆活動に展覧会主催にと精力的に活動を続けていらっしゃいましたが、そんなお忙しい合間をぬってインタビューを引き受けてくださったわけです。

インタビュー項目の中のひとつにボッティチェッリがあった、という程度なので、あまり詳しいお話は伺えず残念ではありましたが、どうやら氏はボッティチェッリの「春」について、今まで誰も解けなかった(というかそれについて書いているのを目にしたことがない)謎を解いたというお話でした。
それが何だったのか、フフフと笑うだけで全く口を割ってはもらえず…しかし、氏はこの絵について執筆したい、と言っておられました。
本当にそんな本がこの世に出るのであれば、是非手にとってみたいと思っている私です。

日本人が好きな絵画のひとつでもあるボッティチェッリの「春」あるいは「プリマヴェーラPrimavera」。
ベルティ氏によれば、実はボッティチェッリの素晴らしさを世に知らしめたのは日本人である、ということです。
「日本の矢代幸雄氏の論文は、ボッティチェッリの解釈に大きな影響を与えたんだよ。素晴らしい論文だ。」
とは、その時の氏のお言葉。
プリマヴェーラに関する論文は数知れず、という中で、私たちが日本人だったからということもあったのでしょうが、それでも決してお世辞ではなく矢代氏の名前を挙げられたのです。
フィレンツェ生まれのフィレンツェ育ちである氏からの言葉だからこそ、何か感銘深くもありました。

いくつかインタビューで質問をしていく中で、今度は逆にベルティ氏が私たち日本人側に突然質問を投げかけました。
「君たちは、ボッティチェッリを女性的だと思うか?男性的だと思うか?」
一人一人答えろ、と言うのです。
ディレクター、カメラマン、音声マン、それに私、順番に誰もが「女性的」と答えました。
あのナイーブなラインに代表される彼の描き方を見れば、おそらく皆そう答えるでしょう。
しかし「そうじゃない。彼の絵画はこのうえもなく男性的なんだよ。」
とベルティ氏。
それは何を根拠にしているのか。
なんとなくなよなよしているような、女性っぽい描き方、これが「男性でなくては描けない」というのです。
ではなぜ?

ウッフィーツィ美術館を訪ねたことのある方なら、この絵画が以外と大きい事にびっくりされるのではないでしょうか。
しかも、これはキャンバス画ではなくテンペラ画です。
テンペラ画というのは油絵とは全く違う世界で、何度も何度も細い筆で色を塗り重ねながら少しずつ絵を完成させていきます。
時間がかかるので、とても根気がいるのです。

ベルティ氏いわく、
「テンペラ画で、これだけの大きさで、しかもこれだけ細かく緻密に植物を観察し、描いているんだ。普通の精神力じゃあとてもできない芸当だ。男性のパワー、体力を持った人間でなければ、こんな気の遠くなるようなきつい仕事は完成できないよ。」

女性的で繊細な雰囲気を醸し出した絵画のその裏にかくされた、一人の画家に漲る桁外れの力強さ。
確かに、女性は根気はある。1980年代、この絵画を気の遠くなるほど細かい作業で修復したのも、女性です。
しかし、レオナルドと同じように自然を執拗に見つめ、それを自らの感性で組み立て直し、あのような複雑な絵画を何でもないかのように仕立て上げるその腕前というのは、どんな些細な物もうまく「ひとつの世界に統一する」ことを得意とする男性ならではの仕事かもしれません。精密機械を組み立てるかのように、とでもいうのでしょうか。
絵画は、細かいところばかりうまく描けていても、全体のバランスがとれていなければとても弱々しい印象になってしまいます。
それが、ボッティチェッリはあくまでも細かい部分まで美しく、しかしあくまでも全体像(構成)を見据えた絵画に仕上げている。
その上ああも謎めいていると(それが魅力である訳ですが)、何やら宝探しに目を輝かせる少年と同じような強烈な好奇心をもって、あの絵が描かれたように見えなくもありません。
あちこちに複雑な仕掛けを隠し、鑑賞する者に挑戦状をやんわりと叩き付ける「ボッティチェッリと呼ばれた男」が、女神ヴィーナスの目線を借りて「さあ、どうだ?」と問いかけている。そのように思えます。

一見女性的でありながら、男性的。
男性だからこそ描けたプリマヴェーラ。
なるほど、こういう見方もあるんだなあと、あらためてウッフィーツィのあの薄暗い展示室をのぞいてみたくなりました。
(撮影時はライトのおかげで驚くほど、あの暗緑色の中の花々がよく見えたのではありますが)

もしもボッティチェッリをご覧になる機会があれば、そんな話もあったなあと思い出していただくのもよいかもしれません。
何はともあれ、基本的には余計なうんちくは白紙にして絵画と向き合うのが一番、と私は思っていますが…。
実は、それが一番うまく自然にできるのは日本人なのではないか、と感じています。
ただ、西洋絵画(特にこういう時代のもの)はタダの絵、として描かれているのではないので、「まっさら」な状態で見た後にはやはりある程度勉強したほうが、結局は絵画をもっとよく知る事になるし、「見える」あるいは「読み取れる」ようにもなるでしょう。
なにしろ注文主が並々ならぬ教養を持った人たちだったわけですから、一枚の絵画を軽んじることはできません。

折しも今年(2006年)はフィレンツェでひっきりなしにルネッサンス時代の芸術家の展覧会が開催されるようです。というか、始まっているようなので、足を運んでみるのはいかがでしょうか。
ジャンボローニャ、レオン・バッティスタ・アルベルティ、ロレンツォ・モナコ、そしてレオナルド(イタリアではダ・ヴィンチと呼ばずたいていLeonardo、です)と、目白押しですよ。

生粋のフィレンツェ人であるベルティ氏の「フィレンツェルネッサンスに対する誇り」は、今後も脈々と地元で受け継がれていく事でしょう。
私たち日本人も、世界に比類ない文化・歴史・芸術を受け継いでいますが、「美しく継承していくにはどうすればよいのか」をもっと真剣に考え、形にしていくことができればいいものだが…と思っています。余談ではありますが。

« ヒヨドリ・その2 | トップページ | ローマ・パンテオンの驚くべき真実 »

文化・芸術」カテゴリの記事

イタリア・イタリア語・イタリア人 Italianissimi」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ボッティチェッリは女性的?:

« ヒヨドリ・その2 | トップページ | ローマ・パンテオンの驚くべき真実 »

2019年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

おすすめリンク

INFO UTILI

無料ブログはココログ

瞬!ワード