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2006年4月 4日 (火)

桜は美しく。されども…

ちょっとばかり久しぶりの記事投稿です。
イタリア語実務翻訳検定試験なるものを自宅受験し、制限時間48時間のところ何とか24時間以内で今日のお昼過ぎに提出しました。
普段使っていない脳みそを使ったようで、眉間の奥あたりが痛かったのですが(それは脳みそを使ったとは言えないか!?)、今はうつぶせでパソコン打ってるので肩が痛い、というところです。

しかし、受けてみて、まだまだだなあ〜と実感。
昨日の午前中に基礎コース(3時間制限)、午後から専門コース(私は文系を当然選択)を引き続き受験したわけですが、基礎コースでも初めの3行で「げ、やばい!!」と思ってしまいました。
結局、その3、4行を飛ばして次の行から最後まで訳してみたら、一番はじめが一番わかりにくい文章だったことに気づきました。
しばらく試験なんて受けてないもので、要領忘れてましたが…やはり、わかるところからどんどんやるのがいいようですね。気分的にも先にはかどると、後がその勢いで多少いけてしまう、という感じです。

専門コースは3問。
経済、旅行、法律と、日本語でも読まないような内容が出てきて参りました。
とはいえ、普段読み慣れていなくても読み取れるセンスを問う、という主旨らしいので、問題としては妥当であったと思います。
経済はかなりきつかったんですが、とにかく無理矢理終わらせました。

私は睡眠時間も含めてほぼ24時間を専門コースにかかりっきりでしたが、採点方法に「5時間以内で提出の場合は点数を10%加算。10時間以内提出の場合は5%加算」となっていたので、この壁はまだ相当厚い…と恐れ入りました。
(ちなみに24時間を超えると1時間ごとに1点減点。これだけは避けたかったので自分に鞭打ちました。でもないか。)
中には5時間でこの問題を全部正確に翻訳してしまう人がいるのか〜、と思うと昔から何事にも「トロい」(というかずぼら!?)な私としては、ひとの百倍努力しないと間に合わない、とあらためて世界の広さを認識してしまいました。

この検定では、合格通知と一緒にちゃんと模範解答もいただけるようです。
また、きめ細かく各受験者の文法力・読解力レベル、日本語力レベルなども判定してくれるので、大変実用的。
(でも受験するのは初めてなので、合格通知がくるまで本当のところは不明です。)
ただの試験で終わらせるのではなく、翻訳者を目指すのであれば自分がどのレベルに今いるのか、を判断するのにきめ細かいチェックをしてもらえる点で、おすすめできそうな気がしています。
そうでした、ちなみにこの検定を実施しているのはポリグロット外国語研究所(http://www.polyglot.jp/)です。
もちろん、イタリア語だけではなく、世界各国語を「本当に使える」人材を育てることを方針としているので、外国語で身を立てることを真剣にお考えの方はサイトをのぞいてみてください。

ところで…
試験を終えて、本当は自分の下訳仕事もあるのに気分が軽くなってしまい、せっかく天気もいいので近所の桜探訪に出かけました。
(桜は待ってくれないしね!)
つい3日前にも小中学校の桜を見に行きましたが、木の上部はまだつぼみが多くて八分咲きぐらいだったところ、今日はもう満開、しかも風が強くて桜吹雪があちこちで起きていました。
まだ学校も入学式を迎えていないようで、閑散としたなか一人で楽しんでいると、とても得をしたような気分です。
なにしろ私にとっては8年ぶりの日本の桜。でも、そんなに見てない気がしないのも事実。
とはいえ、桜吹雪を体に受けると「日本に帰ってきたんだなあ」と感慨深いものがありました。

桜は美しい。
しかし、いかんせん背景が…。
たとえば中学校の桜。校庭の端にずらっと一列に並んでいてそれは見事なのですが、校庭のフェンスが当然ながら桜を囲うように立っています。
それはいいんですが、そのフェンスの色がペパーミントグリーン。
いや、おそらくその色でもフェンスの素材が木だったりすると、味わいがあるかもしれません。しかし、これはよくあるように、菱形が連なった金網なんですね。
せっかくの桜がなんだか色気が失せる…と私はつい思ってしまいます。

これは、別に学校だけに限ったことではなく、現代の日本の都心地区を歩いていて「どこを見ても美しい」ということはあるかなあ…と思います。
日本に久しぶりに帰ってきて感激したのは、近所を散歩していてもどの家も植木や植物で色とりどりだったことです。
植物が本当に身近で、どこにでもあって…というのがとてもうれしかったのを覚えています。

庭を美しくして、通りがかる人にも楽しんでもらって、というさりげなさがいいなと思う反面、じゃあ街全体、というか自分の目が届く範囲をぐるっと見渡したとき美しいと思うか?
答えは否、です。
今、町はどこも、個人のしたいように家がつくられている。
核家族化と、一戸建てへの夢が捨てきれない人たちで、住宅ばかりが増えていきます。
人口半減時代がやってくる、と言いながら、いまだにうちの近所も畑がどんどん消えていっている。
建つ家は、どれも支離滅裂。建築基準法だけを考えて、周囲との調和は何も考えていないように見えます。

何か、美的感覚というものは求めてはいけない、といわんばかりの土地の活用方法が、イタリアで暮らしてきた分気になって仕方がありません。
そうは言っても、今やイタリアもどこのヨーロッパも、同じ問題をかかえているとはいえます。
それでも、少なくとも歴史的中心区というのは存在する。そこでは昔の時間も感じ取れる。
石の文化、木の文化という違いが保存の度合いにも違いを生じさせるかもしれません。
でも、それ以前に今の日本は計画があるようで「全く見えていない」のではないでしょうか。

ここまで無計画な国になってしまったのにも根深い理由がさまざまにからんで存在するわけですが、何か少しずつ変えていくことができないものか…そう思っています。
おそらく、その土地に住む人々ひとりひとりが考えなければいけないことを、他人任せになあなあになっている。
近所付き合いもあまりないから、意見交換が十分できない。
特に私が住むようないわゆるベッドタウン的な町は、そんな傾向にあるように思います。
土地はただ住むだけじゃない。家の中の住み心地がいいだけじゃ楽しくない。
もっと大きい捉え方をそれぞれができたら、もっと日常的に意見交換ができ、そして行動に移せたらいいなあ、と思います。

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