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2006年5月20日 (土)

呼吸器系と人間の心

何年か前にふと思ったこと。
呼吸器系が弱い人には、感受性が鋭い人、心の温かい人が多いのではないか。
以前も呼吸については少しだけブログ記事を書きましたが、周囲の人たちを見ているとこれはまんざらではないように思えるのです。
なぜなんだろう?

呼吸器系が弱い人は感受性が鋭い。
たとえば、古今東西の詩人や作家も肺を患う人が多かった。(もちろん、肺を患っていれば詩人になれる、と言ってるわけではありませんが。)
私自身も肺炎の一歩手前や喘息、気管支炎、中毒と呼吸器系には泣かされることが多かったので、経験から言わせてもらえば
「息が自由にできないことほど辛いことはない」
という事実があります。怪我より腹痛より、辛さの種類がどこか一線を画している。
精神面に一番影響を与えるのが呼吸器系ではないか、というのが独自の結論です。

呼吸は、空気がそこにありさえすれば自然にできるもの。
その当たり前のことが当たり前にできない時、つまり呼吸が思うようにならない時、いいようのない不安にとらえられるのですね。
人間は呼吸しなければ生きていけない。
呼吸ができないと、死に近づいていく。それが不安を生じさせるのでしょうか。
そして、ひどく気弱になってしまう。
息をちゃんと吸えない、というのは、泣けてくるほどに辛いものです。空気が十分に体に入っていかないから、立って歩くことさえできない。うずくまっているままでは、人間としてうれしいはずがない。動けなくなれば悲しいだけ。

死への不安がよぎることで、それまで意識していなかった心の感度がガーッと上がってくるのではないか。
「死」を意識してしまうことで、それまでに残された現世での時間を「最大限に」使いきろうと、心が開くのではないか。
世の中のものの真髄を見きわめてから往生しよう、といった心が無意識に芽生えてくるのではないか…
実際には、そんなことはない、ただひたすら気が滅入るだけ、という人も多いかもしれませんが。

一度、この「呼吸できない、呼吸が苦しい」経験をすると、症状が和らいだ時に「呼吸ができるってなんて素晴らしいんだ!」と今更ながらありがたい気持ちが沸き上がります。
そして、あらためて「生きているって素晴らしい」と思う。
その時から、急に周囲のことが今まで以上にわかるようになる…見えてくる、或いは思慮深くなる。
そんな経験が私にもありました。健康になってしまうと元の木阿弥、なのですが、何かをきっかけにふと鋭くなる瞬間が増えてきたかもしれません。

けがも病気も悩みもしない人は心が冷たい、というか、他人の病気の辛さが本当にはわからない。自分で経験がないから。(想像と経験は、近づくことができても同じではない)
産みの苦しみを味わった母親は、辛さと喜びを共に知っている。体で。
呼吸器系に何らかの持病がある人は、人の痛みを我がことのように感じる。
(もちろん、呼吸器系に限ったことではないのですが、特に、という意味で)

呼吸ができない苦しさは、恋煩いでも経験がある人も多いことでしょう。
恋煩いでため息をつく。
恋煩いで無意識に深呼吸をする人などは、聞いたこともない。むしろ、呼吸は浅くなってしまう。
恋には「盲目」がついて回る部分もありますが、それは恋の相手に対しては「敏感」になる、ということ。

結核や肺疾患などで呼吸に難を覚える人たちは、同じように「人生に敏感になる」のではないでしょうか。
恋をすれば人への思いやりが芽生えてくるように、呼吸に難があればやはり人への思いやり、いたわりの心が生まれる。

別に、それで「みんな肺疾患になろう」と言っているわけではありません…
健康が一番だけれど、風邪や病気も世の中には必要なのではないか?
ボールを壁に強く打てばその分跳ね返ってくるように、病気が苦しいものであればあるほど、回復したとき人生の素晴らしさと人の心のありがたみが一層大きくなる…そんなふうにも思えます。

書こうとしてもうまく表現できずもどかしい限りですが…なんとなくわかっていただけたでしょうか。

一度、肺がどんどんつぶれていく難病と戦う(イタリア人の親友の)お母さんと美術館に行ったことがありました。いつも、酸素ボンベと一緒の生活をしているお母さんです。そのくせ、元気な時は大声で辛口な冗談を言い続けるし、芸達者な楽しい明るいお母さん。
ナポリのカポディモンテ美術館でしたが…そのお母さんは、ヴァザーリ(Giorgio Vasari)の絵の前で車椅子を止めて、と私に言うので、止めてしばらく二人でその大きな絵を眺めていました。
"...Ma quanto sono belle questi colori, che bel quadro...(なんてきれいな色かしら、なんて美しい絵かしら)"と、そのお母さんはため息をつきながら半分涙ぐんで言いました。
その時、感動しているお母さんのその姿に私は心を打たれてしまいました。
その日に見たラファエッロやマザッチョやカラヴァッジョの絵よりも、おせじにも私は好きとは言えないヴァザーリの絵の前で感動しているお母さんの姿のほうが、強く印象に残っています。
普段は美術館なんて、とてもじゃありませんが近くに素晴らしい場所がいっぱいあっても行けないお母さんです。
ちょっと体調がよかったので美術館に出かけることができ、ゆっくり「美しい」と思える絵を眺めることができた。
人は、あまりにも毎日の生活をなおざりにしているのかもしれない…お母さんを見て、我が身を恥ずかしく思ったのでした。

おそらくこの時に、「呼吸器系と感受性の関係」をひらめいたように思います。
カポディモンテ美術館から家へと向かう車の中で、このお母さんの姿と自分が苦しんだ中毒症状(教会の修復中、酸素がなくなってえらい目に遭ったことが…)の時に起きたさまざまな思い、レオパルディや中原中也のことがなぜか急に重なり、ナポリのあのボコボコの舗装道路で揺られながらとりとめもなく考えていました。

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