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2006年7月20日 (木)

「ジダン 神が愛した男」シネカノン有楽町にて

日本時間で今日中には、ジダンへの事情聴取結果が明らかになるようです。
果たしてどこまで明るみに出るのかはわかりませんが、ヴァカンスがあるからとの理由で「いの一番」に逃げてしまったマテラッツィの態度を考えれば(それを許してしまう周囲の存在を考えても)、この事件の行く末が納得いく解決をみるものかどうか…個人的には疑問を持っています。

さて、日本語のサブタイトルでは「神が愛した男」(原題は「ジダン 21世紀の肖像」という感じでしょうか)-すっかり有名になってしまった一人の男をひたすら追い続ける映画を観てきました。

驚くべきは、95分の映画で使われているジダンの映像が、90分の試合たったひとつだけを撮影した中から使われていること。
(但し彼がレッドカードで退場した試合ですから、実質何分彼がピッチ上にいたのか正確にはわかりません。)
ジダンの「無くて七癖」、8秒ごとにピッチの芝生を足でトントン叩く姿がベースラインとなり、彼の獣を追うような目、静から動への神業的な動き、時折つい耳にしてしまう観衆のどよめき、チームの選手と交わし合う冗談でゆるむ顔…そして、彼がサッカー人生の中で漏らした言葉(そしてそれは記事になったことがないものばかり)がふっと字幕に現れながら、試合は展開していきます。
2005年4月23日のレアル・マドリード×ビジャレアル戦で、ベッカムもフィーゴもそっちのけでひたすら17台の最新鋭カメラがジダン「だけ」を追う。
ひとつの試合で一選手がボールに触っていられる時間などは限られたもの。しかも、いつ監督から選手交代の合図が送られるかもわからないような状況で捉えられた一人の人間の姿…ピッチ上の凝縮した時間と戦う天才の一部始終は、観る者に緊張感を与えます。カメラマン自身の緊張感も伝わってくるようです(試合は一度きり、本番あって前後なし)。
とはいえ途中、2度ぐらい集中力がゆるんで意識が途切れそうになりましたが、それは何となく私だけではなかったような気がしました。
しかもそれは、ジダン自身の試合中の弛緩と呼応していたかもしれない!?
それも一瞬の事で、彼でなければつくり得ないこの映画の特異さを、サッカーファンに限らず多くの人たちに観ていただきたいと思います。
あらためて、ジダンは天才である前に一人の人間だった–でもジダンはやはりジダン-と、うなずかれることでしょう。
仕事をする人間の「真剣」というあり方のかけがえのなさと美しさ。
一瞬の出来事が事態を一変してしまう、はかなさと躍動の世の理。
彼がこの撮影を受け入れてくれたことに、感謝。
これは映画館で観るべき作品のひとつ。
制作スタッフの音と光に対する鋭敏さ、選んだシークエンスのひとつひとつ、そして音楽。これは、大スクリーンとそれに対応した音響で堪能すべし。
撮影する直前、スタッフ達がプラド美術館のゴヤの絵画を目に焼き付け、そして試合に臨んだ…というエピソードもあります。映画と絵画との関係を感じ取るのもまた一興かもしれません。
(このエピソードが「21世紀の肖像」というサブタイトルに込められているはずなのですが…ゴヤといえば王家の肖像画。なぜ「神が愛した男」と翻訳してしまったのでしょうか。インパクトあるキャッチフレーズを選んだ、ということなのでしょうけれど。ちょっと残念)

映画の公式サイトはこちら:
http://www.zidane.jp/

テレビの実況中継でも、観客席での応援でもわかり得ない選手の息づかいと五感をぜひ映画館で。

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