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2006年8月22日 (火)

JR相模線の旅?

Tonbi
14日(月)、イタリア留学前に厄除けをお願いした寒川神社へ久しぶりに行ってきました。
翌日15日の薪能準備で、赤い観客席と能舞台設置のため本殿前の敷地はアクセス不可。
(結局雨天で薪能は体育館になってしまったようですが)
仕事上の仕切り直しもあり、今後のことを見守っていただきたく開運招福祈願で本殿に入りました。Chigasaki_1

神道の建築物を目にすると、屋根の形の素晴らしさについ魅入ってしまいます。
すうっと空に向かって伸びていくようなラインは広がりがあり、どことなく清々しさを感じさせる。
人間の念がうずまいているようなバロックとは実に対照的で、仏教建築とも一線を画しているように思います。
鳥居という簡素なオブジェのみで「そこから先は聖域」と示すそのおおらかさ。
そして、無垢の檜の本殿。
自然との隔たりを感じさせない、あるいは自然の真髄を人間の手で形にしたかのような佇まい。風通しのよさ。
自然が生まれ変わるように、神道建築もまた20年ごとに生まれ変わる。
お線香も煙もない。あるのは清らかな水と自然の香りだけ。

宗教建築には、その宗教が求める方向性が如実に表れているものかもしれません。
神社は、空気の清々しさといい、日本人にとってはごく自然にすっとなじめる存在ではないだろうか、と感じます。
他を排除する、差別化するのではなく、生きとし生けるものに感謝しながら自然と共に生きていく。
ひとつのことに縛られず、しがみつかず、こだわらず、変化を受け入れながら生きていく。
私自身は敬虔な信者というわけでは全くありませんが、いつの時代になっても日本人は、神社に宿る日本人の心を忘れないようにしたいものだ…そう思います。
宗教というよりもむしろ、全てに感謝しながら生きていくという「生き方の基本」である神道。
この感謝の気持ちが薄れて人間が自然との隔たりを広げていった時から、日本の美しさが細切れになっていってしまったのではないか。

変化を受け入れる日本人だからこそ現在の日本がある。
しかし、経済社会の第一線で活躍する人たちにこそ、日本人の原点・美の原点を注意深く見つめなおしてほしい。
私利私欲にまみれきった現代人は、進化したといえるのかどうか?

…とはいえ写真は海のもの。
結局、お参りのあとはふらふらと、相模線の終点へ行きたくなってしまいました。
実は一度も行ったことがなかった茅ヶ崎。
妹とそのまま海へ向かいました。
バスのダイヤがいまひとつで、茅ヶ崎駅南口からそのまま徒歩。
暑くてバテバテ、しかも海の近くまで来たとたん登り坂に!
たいした坂ではないとはいえ、勘弁してくれといいつつ足をとにかく動かし…
でも、やっぱり久しぶりに見た海、砂が黒かろうが海も黒くて正体不明のものが何かと浮いていようが波の音と空の広さについうれしくなり、来てよかったあと思うのでありました。

しばらく、サーファーの見事なサーフィンに目を奪われ、妹と二人で日傘を片手に(そんな人間は皆無)砂浜へ降りる階段に座って鳶の鳴き声と一緒に楽しみました。
帰りは幸い、バスがあり「こんなに近かったの!?」とショック。

まあ、足を延ばしたおかげで、ここのところサボっていた水泳の代わりにいい運動になりました。
ぶらっと旅をするのはなかなかいいものです。
(神社の紙袋を下げたままの旅はイケてなかったとはいえ)
今度は橋本方面へ行ってみようかな?
Surfers_at_chigasaki

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