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2006年10月12日 (木)

ショスタコーヴィチの証言(4)恐怖・自殺・克服

「病気になると、誰でも、子供のような気持になるものだ。それは精神の最低の段階であるが、子供は死よりも危険を恐れる。自殺というのは危険からの手っ取り早い逃避である。あまりにも生におびえていた子供の行為にほかならない。

わたしの喜びのない人生には、悲しい出来事がかぞえきれぬほどあった。危険が凝縮し、それがとりわけはっきり現われる時期もあって、そんなときには、いやがうえにも恐怖がつのるのであった。いま、ここで語っている時期に、わたしはもう少しで自殺するところだった。危機感がわたしを脅迫し、ほかのいかなる出口も見いだせなかった。
わたしは完全に恐怖のとりことなっていた。わたしはもはや自分の人生の主人でなく、わたしの過去は抹殺され、わたしの仕事、わたしの能力は誰にも価値のないものに思われた。そして、未来にいかなる光も認められなかった。このとき、わたしはわが身を消滅させたいという思いにかられたが、それだけが考えられる唯一の出口であった。その可能性を考えつづけては、わたしはなにか解放感を覚えていた。」

「この危機ともいうべき時期に、ゾーシチェンコの考え方を知ったのは、多くの点でわたしに有益であった。彼は、自殺が酔狂であるとまでは言わなかったが、自殺がきわめて子供じみた行為である、と主張していた。これは精神の高い段階にたいする低い段階の叛乱である。もっと正確にいうと、これは叛乱ではなくて、低い段階の、完全にして決定的な勝利である。」

「もちろん、あの絶望的な時期のわたしを救ってくれたのは、ゾーシチェンコの考え方だけではなかった。しかし、そのような考え方のおかげで、わたしは思いつめた極端な決心を回避できた。そして、以前よりももっと強くなり、自分の力をもっと確信できる人間として危機をくぐり抜けることができた。敵対する勢力が、わたしにはもうそれほど全能とは思えなくなり、友人や知人たちの恥ずべき裏切行為も、以前ほど大きな悲しみを与えなくなった。」

「あの大量の裏切りは、もはやわたし個人にはかかわりのないことであった。わたしは自分をほかの人々とは区別できたが、そのことも、あの時期には救いのように思われた。
このような考えのいくつかは、もし望むなら、わたしの第四交響曲のなかに見いだせよう。正確にいえば、最後の部分で、このようなものがすべてかなりはっきり表現されている。このことについては、もっとあとになって、第六交響曲の最初の部分を書いていたときにも考えていた。しかし、第六交響曲の場合、ある意味では、第四交響曲よりもはるかに幸運に恵まれていた。それはすぐに演奏され、批判も控えめなものだった。だが、第四交響曲が初演されたのは、作品の完成後二十五年も経ってからだった。それがよりよいことだったかどうかはわからない。およそ、音楽作品を地面に埋め、時のくるのを待つという意見にわたしはあまり賛成できない。まったく、交響曲というのは中国の卵ではないのだから。」

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