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2006年11月12日 (日)

おみくじのおしえ

黒い雲と真っ青な空が混在する一日も、最後には晴れ渡って役目を終えたという感じ。
友人たちと、ひょんなことから寒川神社へ行くことになり、おみくじを引いてみました。
みな「大吉」「中吉」ばかり。私は小吉でしたが。
「七五三だからいいおみくじしか入れてないのかも?」と一人。なるほど。
境内には菊がたくさん飾ってあり、黄色い小菊の前ではおめかしした子供たちが写真撮影していました。

おみくじの言葉が含蓄あるな…と思ったので持ち帰りました。
こんなことが書いてありました:

我心我欲をはろうて胸は清い高峰(たかね)の 月の光
胸の苦しみ、心のもだえ、よくよく考えてみれば、我身びいき身勝手から起っている。
我欲をすてて、他人の幸福を念じる心になり切れば、広らかな、すがしい気持にかわって来る。
そうだ何も神様におまかせして、神様と御一体になるまで、御祈りをつづけましょう。

夕立の
 雨
やまなくに
日はくれて
行きなやみ
   たる
山の坂道

あせらばあせる程 苦しみ多く 騒げば騒ぐ程損をする災(わざわい)添う運です
けれど何事も控え目にして心静かに身を守り信神怠らなければ却って後は大の幸福あり

胸の苦しみ、心の悶え…は現在のところ種は幸いにしてありませんが、
苦しかった頃を振り返ってみると、原因は確かにそういうところにあったなあ…と思い当たります。
我欲を捨てることでそれを乗り越えることができたのも事実です。

これからも年齢を重ねるたびにいろいろな事があると思います。
でも騒がず、拡大解釈せず、冷静にありのままを見ることができるようにしていきたいものです。
神に祈る、というのは、言い換えれば
「心を主観にとらわれず、ニュートラルに保つこと。いったんゼロに戻せば必要なものが見えてくる」
ということにもなるかな…と解釈しています。
悩み、苦しみがマイナスとすれば、それを一度自分の心から切り離し、客観的に見つめる。そこで原因が見えてくる。原因がわかればマイナスはゼロに転化できる。
心の整理でゼロにできれば、あとは行動でプラスに転化していくことも可能なのではないか。
「神」に対して祈る人もいれば、一人で瞑想することも祈り。雑念をぬぐい去るという意味において同じこと。

インドでゼロ、という概念が生まれたのも、仏教あってのこと、という気がします。
陰と陽の中間にあるゼロ地点もまた、世の中に存在する。
先日、上野の国立博物館で一木彫の展覧会を見ましたが、安らかな仏様のお顔はまさにゼロ地点なのではないか、と思い当たりました。人間が求める「ニュートラルな心」を具象化した形。
人間が仏像を見る時に安らかさを覚えるのは、そこに「ニュートラル」の厳然とした姿を見いだすからではないか。
めまぐるしい生活の中で、心をニュートラルにすることは難しい。
一人で目をつぶり瞑想するのが困難だとすれば、目の前に安らかなお顔を眺めながら心を穏やかにすることはいくらかたやすいことかもしれません。
仏像にはそんな役目もあったのではないか…という気がします。

なんだか話がそれてしまったようですが、おみくじのことばからの考察(?)でした。


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