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2006年11月10日 (金)

生の音楽に接して

Cyclamenpink
イタリアで知り合った「姉御」が出演するコンサートに初めて行ってきました。
瞳のきらめきからオーラを放っているような人です。
そしてユーモアのある女性。
友人皆で食事したり、一緒に美術展を観に行ったり…と、いつも会う姿は当然普段着でした。
確信に満ちた、落ち着いた声からはその歌声を想像できるようなできないような…というイタリア生活での印象。

しかし…舞台に現れたのは、いとも美しい貴婦人でした。
そして声は…想像を遥かに超えて、いや全く世界観が覆ってしまうような魂の響きが、私の体を何度もつらぬいてきたのです。

何度もまばたくしかありませんでした。
涙が目をおおいそうで。
流れないようにと抵抗しつつの一曲目。
完全に打ちのめされました。

歌声で心から感銘を受けたことは、いまだかつてなかったかもしれません。
これまでの人生、生演奏で心底感動したのはたった二つ…いや、演奏が終わっても夢うつつで体のすみずみまでその音楽が染み込んだコンサートは、強いて言えばひとつ、です。
それはヨーロッパのオーケストラでした。
ズビン・メータ指揮のバイエルン放送響によるブラームスの交響曲…ウィーンフィルもベルリンフィルも聴いたけれそ、今ではどんな演奏だったか思い出せない。もちろん、それぞれの楽団のカラーは覚えているのですが。
でも、あのブラームスときたら…完璧なる呼吸、そして何より驚いたのがダイナミクスの素晴らしさ。
たとえていうなら、アコーディオンが伸び縮みする動きがそのまま音になったかのような、ピアニシッシモpppからフォルティシッシシモffffまでの鮮やかさというのか。
波が打ち寄せては引き、打ち寄せては引くような。
完璧でした。
メータの指揮も冴え渡り、怪物的なオーラがほとばしっていました。
何より、団員すべてがひとつの音楽になりきっていたのです。
聴衆もその波のような音楽に呑み込まれて。

今宵のコンサートは、知人という意味でも(ギャップという意味でも)感銘深いものがありました。
彼女が日本とイタリアで着実に踏み固めてきた、プロとして「今」を生き抜く姿勢、声の中に伺える深い人生経験。
彼女にありがとう、と心から伝えたいと思います。
素晴らしい芸術をありがとう、と。

表現の形は違っても、ひとの魂をゆさぶるような仕事がしたいものです。
家事であれ、会社の仕事であれ、趣味であれ、立ち居振舞いであれ。
積み重ねということの尊さをおしえられました。

今日また確信したこと。
人間があらゆるものを失っても、最後まで希望を与えてくれるもの…それは、ユーモアと音楽、そして心。
芸術の本質とは何なのか。
それは、人の心に滋養を与えるもの。
経済とは、政治とは何なのか…
こればかりは一生かかっても解けない謎かもしれません。人間は体の細胞が多い分、行動も無限に近いのですから…すべてを知るのは到底無理、という気がします。難しいですね。

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