戦時中の食べ物の話・空爆の話
昭和ひとけたの父は、戦時中の話をしたがりません。
それは、祖母(母方は今でも健在、今年で米寿)も同じ。
父からすれば、「言った所で今の時代の子供にわからせるのは無理だ。あんなのは経験してみるしかないんだから」ということになる。
朝食時(ときには夕食時)、それでも時々話を聞く事があります。
私からすれば、伝えて行く事は大切なことだと思うのですが、もしも自分が逆の立場だったら・・・と思うと複雑です。
それでも、出来る限りの事を教えてほしいという気持ちには変わりありません。
近所の畑に生えている芋づるで生き延びた話。
それが「生えていた」のか「泥棒した」のか「そんなのはわからない」状況で母親(私の祖母)のために持って帰り食べさせたこと。
戦後3年はお米を食べた事がなかった話。
母方は米屋だったので、父は「お母さんは裕福だったんだよ!」と言います。
すかさず母「でも私も麦ご飯だったわよ!」
父「麦!麦食べられるだけ上等だ!ぼかあ配給されてたのはいつも豆かすだったんだから!あれを食べると下痢になって大変だったんだよなあ」
配給される大豆の搾りかす。
軍隊のために大豆を搾ってとった油。その残骸・搾りかすを、飢餓の極限だった庶民が「配給で」いただく。
消化不良でひどい下痢をして、また豆かすが配給されて・・・仕方がないので食べ物を拾いに出かける。ひもじくてふらふらになりながら。
「おなかと背中がひっつくひもじさって言葉があるけど、本当にそうなるってどういうことかわかるか?」
「ひもじくて横になって凌いでるしか無い」
「走っている右左に焼夷弾がひっきりなしに落ちてくる。おばあさんと山まで必死に逃げ込んだ。まあ、なんで一つも当たらなかったのか不思議なくらいだ」
「飢えで死んで行く人間の様子は、見た人間にしかわからない」
爆弾が落とされ使えなくなった電車がそのまま線路に置き去りにされている。
見ると、ひとりのオジサンがいつの間にかそこに入りこんでいる。
文字通りお腹と背中の皮がくっついて、横たわっているしかないオジサン。
骨と皮だけで生きながら、目を見るとハエがわんさとたかって蛆虫が湧き出ている。
「まだ生きてる」「まだ生きてる」目だけは相変わらず蛆虫が湧き出てハエが飛び回り、また蛆虫が生まれてハエになって・・・。
子供だった父は、友達と一緒にいつも様子を見に行った。
そしてある日。男性はそのまま電車の中でいつの間にか息を引き取っていた。
線路を行き来することができなくなった電車より、ずっと緩慢な死を迎えたひとりの人間。
父は、その電車の車両番号を覚えていた。
戦後、その車両が修理されて、乗客と一緒に線路を走っているのに気がついた。同じ番号だ。
同じ番号なんだよね・・・そう言った父の目が怖かった。
戦争とはそういうもの。
だから戦争なんて絶対やっちゃいけないっていうんだ。
でもそんなこと言ってもはじまらない。
ラジオやテレビのコメントを聞いてても、他人事のような実感のない話ばかり。
それはコメンテーターが戦争を経験してない人ばかりだからだ。
ピンとこないんだ。
渋谷に焼夷弾がひとつだけ落ちてみろ。どんなパニックになるかわかりゃしない。
それがひとつじゃないんだ。自分の周りにわんさか落ちてくる。来る日も来る日も。
なんでまだこうして生きてるのかわからないよ。
今、こうやって平和をむさぼっている間にも、地球上のどこかでは毎分毎秒、命がうばわれていく。
平和を平和をと叫びながらも、軍事費のために税金が費やされる世界。
人間って、何なのだろう?
大量の「モノ」が流通している世の中。
その「モノ」ひとつがどのように自分の手元に届いたのか、なぜこの食べ物がここにあるのか・・・
じっくり、しばらく一つの事を考えてみる。とことんまで。そうするしかないこともある。
ひとりの人間が体ひとつで経験できることには限りがあります。
だからこそ、想像力の枯渇ほど恐ろしいものはない、とも思うのです。
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 緊急事態宣言パート2開始の日(2020.05.07)
- 一年間お世話になりました&来年へ向けて(2016.12.31)
- すっかりブログがご無沙汰当たり前に(^_^;)ちょっと仕切り直し(2016.10.05)
- 2月13日です(2016.02.13)
- 頭痛持ちじゃないんだけど(2016.02.01)
「歴史」カテゴリの記事
- 新型コロナウイルスから人類のあり方を問う(2020.05.02)
- 馬車道から(12月11日)(2015.12.13)
- 国宝一遍聖絵: 三ヶ所巡るなら(2015.12.11)
- 色々あってからの・・・KUNI「願い叶うなら」到着♪♪♪(2015.12.04)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント