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2011年2月24日 (木)

映画「戦場のピアニスト」

昨夜、BSで放送された「戦場のピアニストThe Pianist」。
先週から楽しみにしていました。
観始めの時間帯はかなり眠かったのですが・・・2時間半、結局逆に目が覚めるわトイレに行きたくても見逃すのが惜しくて立ち上がれないわという状態に(苦笑)。

映画館で観た当時、ショパンのあまりの美しさとエイドリアン・ブロディの「文字通り」迫真の演技、瓦礫の山と化したワルシャワの街がはるか奥まで延々と広がるシーンがショッキングで、深く心に刻まれたものです。
2002年公開ということは・・・イタリアで観たんですね。
どこで観たかも記憶にないほど、映像と音に釘づけになっていたようです。

映画の詳細は、こちらをご参照ください。

そんなわけで、今回は二度目の観賞。
しかし・・・
あらためて観て、自分が残酷なシーンを記憶からほぼ抹消していたことに気付き、そのことに少なからずショックを受けました。
観れば確かに、以前に観たシーンばかり。でも強く印象に残っていたのは実際には最後の30分、クライマックス部分だったのです。
ユダヤ人を虫けら同然に扱う前半シーンの数々はあまりに衝撃的で、覚えていたくなかったのかもしれません。
人間の記憶というのは都合よくできているものです・・・。

今日知ったのですが、ポランスキー監督は自分自身がクラクフのゲットーで幼時を過ごし、母親も収容所で亡くしたそうです。
だからこそ、自らの過去と向き合う勇気を出せずにいた長い長い歳月を経て、初めてこの映画で全てを出し切ったことには、筆舌に尽くせない重みが込められている。
彼でなければ描けなかった。
実態を経験していないので想像するしかない私たちも、ポランスキー監督のつくり出した映像には「そういうものなのだ」と納得するしかない。ドキュメンタリーとでもいうべき、有無をいわせぬ映像を見て、真実が何かを感じ取るのみ。
個人的な経験の有無を超えて、我々は我々自身のDNAで映像の奥に横たわるコアを把握する。だからこそ映画がつくられる意味がある。

これが実話だということに、神懸かり的なものを感じるのですが・・・
最後にシュピルマンを助けた、ドイツの行きつく先を理解していたドイツ将校も「私ではなく神に感謝することだ」と言っていましたが、しかしシュピルマンは一度たりとも「神よ」とつぶやいたことはない。少なくとも映画の中では(と思いましたが・・・記憶の限りでは)。
神懸かりとは、すなわち結果論なのかもしれません。

彼も仲間と共に戦って死にたいと思った。
その一方で、生きたいという気持ちが要所要所で彼の行動を生みだし、彼の人生を大きく方向転換させていった。
それでも、生き延びる確証などどこにもなかった。
連合軍がやって来ても、ドイツ将校が脱ぎ捨ててくれた上着をしっかり着こんでいたお陰で銃を向けられる(発砲されてましたね・・・)。
最後の最後で・・・というシーンにさえも、必死のセリフに思わず「ぷっ」と笑ってしまいましたが。
そんな「必死」と「ユーモア」の表裏一体性にも真実味を感じた次第です。
そんな印象深いシーンがたくさんありました。

自らの肉体と戦い続けたショパンの作品を、ポーランドに住むユダヤ系のピアニストが時代に翻弄された挙句に平穏を取り戻し奏でる音、その音を紡ぎ出すシュピルマンの表情。
最後のコンサートの横顔に泣きました・・・すでに涙腺は壊れてましたがo(;△;)o

映像の色調、乱用しないが故に効果的な音楽、エイドリアン・ブロディ、国とそこに所属する人間であるが故の矛盾。
混沌とした今の時代にこそ、世界中のあらゆる人たちに観てほしい作品です。

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