鶴竜関連記事まとめ
26日の記者会見での鶴竜の言葉:
「まだ実感はない。今までやってきたことを場所で出せたし、いいところばかりが出た」
「最後に悔しい思いをしたのでそれをバネにしたい。今まで以上に責任を感じるし、より一層、稽古に励み、喜ばれる相撲を取りたい」
以下はまとめというか、たまたま目に入っていい記事だなと思ったものを抜粋。個人的に注目した部分はテキストを赤に。日付が新しい記事順。
産経新聞 3月27日(火)7時55分配信
鶴竜、熱意実った 入門志願し手紙・・・苦労乗り越え大関へ 大相撲
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大関昇進を確実にした春場所の千秋楽から一夜明け、鶴竜は会見で穏やかな笑顔を見せた=大阪市天王寺区(山田喜貴撮影)(写真:産経新聞) |
春場所で13勝を挙げ、大関に昇進する関脇鶴竜が千秋楽から一夜明けた26日、「部屋の関係者とか、みんなに喜んでもらいたかったので良かった。稽古に励み、お客さんに喜んでもらえる相撲を取りたい」と、喜びと抱負を語った。
モンゴル出身の朴訥(ぼくとつ)な男は、秘めた熱意で道を切り開いてきた。白鵬や日馬富士の父がモンゴル相撲の名力士だったのと違い、鶴竜の父は理系の
大学教授という異色さ。「スポーツしているのが好きだったし、親も喜んでいた」。バスケットボールに励む少年は旭鷲山らの活躍をテレビで見て大相撲に憧れ
た。
現地で行われた相撲部屋の入門テストを受けたが不合格。諦めきれず、思いを父の同僚に日本語に訳してもらい手紙にした。「受け入れてくれる部屋がありま
したら、その方々の気持ちにこたえるべく、一生懸命がんばりたい」。相撲雑誌の広告の住所に出したところ、人づてに井筒親方(元関脇逆鉾)に話が届き入門
が決まった。
16歳の秋。初めて少年を見た親方は「床山さんが入門してきた」と思った。体重は70キロに満たなかった。それでも兄弟子の元十両鶴ノ富士、福薗洋一郎
さんは「運動神経も頭も良く、強くなると感じた」。まわしの切り方は1回で覚え、日本語も1年ほどで会話できるまでに上達した。
苦労したのは2年目。三段目で結果が出ず、帰国してしまうのではと親方は心配したが、魚を食べられるようになって体重が増え、番付も上がった。「勝負に
対するプライドは高い」と親方。稽古相手が多い部屋ではないが、課題を整理し休まず鍛錬を重ねた。土俵外でも、初代若乃花などの映像を見て研究し、他競技
のトレーニングや栄養補給法からも向上のヒントを得ようとしている。
鶴竜は「覚悟して来たから、きついとは思わなかった」と言う。11年前に手紙に込めた気持ちのまま、26歳はストイックに大関の座をつかんだ。
スポニチ:
鶴竜師匠の井筒親方 目指せ逆鉾+寺尾!
大相撲春場所で13勝を挙げ、大関に昇進する関脇・鶴竜(26)が千秋楽から一夜明けた26日、大阪市内で会見し「言動に気を付け、稽古に精進し、お客さまに喜んでもらえるような相撲を取りたい」と自覚たっぷりに話した。
昇進は28日に正式決定し、伝達式に臨む。師匠の井筒親方(元関脇・逆鉾)は口上について「シンプルでいきたい」と説明し、四字熟語についても「使う気
はない」と明言。最近では稀勢の里が「精進します」というシンプルな口上を述べたが、鶴竜も「(稀勢の里と)そんなに変わらない」と話した。
今後は初優勝と横綱を目指すが、師匠が掲げる愛弟子の力士像は“寺鉾”だ。「オレと弟を足して2で割った力士」。突っ張りで揺さぶった実弟・寺尾(現錣山
親方)と懐に潜って動いた自分をミックスした力士。体は大きくなくても技術で圧倒するという井筒の伝統を新大関が守っていく。
[2012年3月27日 06:00]
2012.3.26 12:38
大相撲春場所で13勝を挙げ、大関昇進を確実にした関脇鶴竜が千秋楽から一夜明けた26日、大阪市天王寺区の法岩寺で会見し、「できるだけ今まで通り、15日間やろうと思っていた。本当に良かったと思う」と振り返った。
師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)は「大事な場所になる予感はあった。スタミナが付き、長い相撲をしのいで勝つのが何番かあった」と弟子の成長を評価した。
大関について、鶴竜は「横綱の次の番付。今まで以上に責任感を強くして言動にも注意しないといけない。稽古に励み、お客さんに喜んでもらえる相撲を取りたい」と早くも気を引き締めていた。伝達式は28日に行われる。
niccansports.comより:
鶴竜 初V逃すも28日大関伝達式/春場所
<大相撲春場所>◇千秋楽◇25日◇大阪府立体育会館
関脇鶴竜(26= 井筒)は、小声で言った。「届きそうで、届かなかった。優勝するには、まだ早いということ…」。支度部屋で悔しさをにじませた。勝てば初優勝が決まる豪栄 道戦。右のほおを張られ、もろ差しから寄られた。優勝決定戦は、白鵬に負けた。「横綱は横綱ですね。経験の違いじゃないですかね」。本割と違う独特の雰囲 気の中で実感した。
優勝は逃したが、自身最多の1場所13勝を挙げ、殊勲賞と技能賞を受賞した。審判部は、大関昇進を諮る臨時理事会の開催を要請。北の湖理事長(元 横綱)が了承し、昇進は事実上、確定した。所要62場所の昇進は、外国出身力士としては最も遅い。伝達式は28日。吉報を伝える使者は、雷親方(元前頭春 日富士)に加え、入門時から世話になった錣山親方(元関脇寺尾)に内定した。
口上について井筒親方(元関脇逆鉾)は「シンプルにしたいね」と、思いを口にした。4月にはモンゴルから両親が来日予定で、年内には昇進披露パーティーも行う。取組後、鶴竜は部屋の千秋楽祝賀会で、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を歌い「来場所は優勝できるように、精いっぱい頑張ります」と、昇進後の決意を示した。【佐々木一郎】
[2012年3月26日11時56分 紙面から]
デイリースポーツオンラインより:
鶴竜、ホロ苦…大関昇進内定
「大相撲春場所千秋楽」(25日、大阪府立体育会館)
優勝決定戦。鶴竜は両足が徳俵にかかっていながら残す意地は見せた。だが最後は白鵬の上手投げに屈した。「土俵に上がる気持ち?無になりました。優勝は届きそうで届かない。自信にもなりましたし、最後に悔しい思いもした」。表情を変えずに振り返った。
本割で平幕の豪栄道に完敗。「土俵の雰囲気がちょっと違った」。平常心で臨み続けたが、最後に気負いが生じた。正午過ぎには審判部の鏡山部長(元関脇多賀竜)が北の湖理事長(元横綱)に要請し、昇進を諮る臨時理事会が28日に開かれることになった。事実上、大関昇進が決定し、2度目の殊勲賞と7度目の技能 賞も与えられたが、初優勝は逆転で逃した。
初土俵から所要62場所、新入幕から同32場所での昇進は外国人力士では最も遅い記録。スカウ
トではなく、自ら関係者を通じ入門志願の手紙を日本相撲協会広報部に届けた苦労人は「悔しさ、うれしさ、一歩一歩経験を積めた。本当に良かった」と喜びを
かみしめた。史上初の6大関の一員として迎える夏場所。「もっと稽古してチャレンジしたい」。その夢にはまだ続きがある。
(2012年3月26日)
2012年3月26日(月) 朝日新聞朝刊紙面より:
鶴竜 張り差しに屈す
本割・決定戦で連敗
賜杯を抱きしめることは、できなかった。本割、決定戦と敗れた鶴竜は「横綱とは経験が違った。自分にはまだ早いということ」。悔しさを押し殺した。
本割の豪栄道戦。勝てば初優勝の土俵は「いつもと雰囲気が違った」。相手の張り差しに面食らう。両差しを許し、勝負あり。
悪い流れは、断ち切れない。「無になろうとした」という決定戦の立ち合いで、今度は白鵬の左張り差しを食った。白鵬の寄りを土俵際で耐えたのが、唯一の抵抗だった。
千秋楽まで白鵬を星一つリードした相撲は、間違いなく場所を盛り上げた。この日は取組前に大関昇進の吉報も受けていた。「いい経験になった。自信にもなった。でも、最後に悔しい思いをした」
地位が上がり、来場所は協会の看板を背負う。「立ち合いを磨いて、また(優勝に)チャレンジしたい」と前を向いた。
(鈴木健輔)
○豪栄道 鶴竜に勝ち、優勝決定戦をおぜん立て。敢闘賞にも輝く。「面白くしようと思った。久しぶりに興奮した」
nikkansports.comより(記事はこちら):
[2012年3月25日8時37分 紙面から]
鶴竜33勝大関昇進へ文句なし/春場所
<大相撲春場所>◇14日目◇24日◇大阪府立体育会館
関脇鶴竜(26= 井筒)が大関琴欧洲(29)を下手投げで破り、大関昇進を確実にした。13勝目を挙げ、昇進の目安となる直前3場所合計33勝に到達。審判部も昇進をはか る会議の招集を決めた。モンゴルで手紙を書き、入門を直訴してから11年かけ、ついに大関に到達した。千秋楽の豪栄道戦に勝てば、初優勝が決まる。
全身を駆使して、鶴竜が 投げた。右四つから琴欧洲が寄ってくる。右足をはねながら、下手投げ。2メートル2センチの巨体を1回転させた。通算400勝目は、大関の座をたぐり寄せ る白星。「あぁ、勝ったな…」。勢い余って、相手の上に乗っかりながら実感した。「とにかく我慢と思って、流れで思い切り行きました」。
初の13勝で、3場所合計33勝。1横綱4大関を破り、審判部も昇進へ異論なし。「まだ、そんなに実感はないですけど」とつぶやいたが、井筒親方 (元関脇逆鉾)への気持ちを聞かれると「いっぱい怒られて、いっぱい注意されて…。自分のために常に言ってくれた。本当に感謝しています」と話した。
日本相撲協会と雑誌社に手紙を書き、入門を志願したのは01年4月23日。あれから3988日。180センチ、72キロの細身だった少年は、反骨心と明晰(めいせき)な頭脳で強くなった。
父は大学教授で、昨年には学部長に昇格。「向こうで大学の先生といっても、給料はよくない。日本に来た時『ボンボン』とか『金持ち』と言われて腹 が立った。バスケをやっていたのに、バッシュを買えなかった」。実家のマンションは1LDKで、自分の部屋はない。ハングリーだった。覚悟を決めて来日し たから、苦しくてもやめたいと思ったことはなかった。「納豆は最初から食べた。兄弟子たちは『オエッ』って言うと思っていたみたいで、普通に食べたらびっ くりしてました」。徐々に体重を増やし、番付を上げた。
力士数6人の小部屋だが、あえて若い衆に押し込ませて負荷をかけるなど、工夫を繰り返す。実戦形式は、出稽古で補った。井筒親方は「最近は欠点も少なくなった。丸10年たつけど、のみ込みが早かった」と話す。父からの恩恵は、経済面より頭の良さにあった。
千秋楽には初Vがかかる。関脇以下の優勝は、01年の琴光喜以来。親方は白鵬に勝った9日目から白いワイシャツを変えず、験を担ぐ。優勝パレードの打ち合わせも始まった。「なるべく、そういうのは考えず、いい相撲を取れるように、最後まで頑張りたい」と鶴竜。荒れる春場所。主役の座は渡さない。【佐々木一郎】
2012年3月25日(日)朝日新聞朝刊紙面より:
鶴竜、大関昇進へ
技を封印、前へ出て進化
突いて出た。頭は上げず、つかんだ前まわしを離さない。下から上へ。鶴竜は相撲の定石を体現して、優勢をつくりだした。202センチの琴欧洲を腰に乗せ、右足をはね上げる。豪快な下手投げ。「我慢して、我慢して。(最後は)流れで思いっきりいきました」
突いてよし、組んでよし。以前からうまさには定評がある。玄人好みのお相撲さんだった。ただ何でもできる器用さが、ここ一番で勝ちきれない弱さにもつながっていた。
白鵬をはじめ、四つ相撲の巧者がよく使う「巻き替え」。体をよじり、自身の上手を相手の下手にねじ込む技術だが、その一瞬は脇が空き、敵がつけ込む隙になる。そんな「もろ刃の剣」を、鶴竜は今場所、ほとんど使わなくなった。
稽古場で井筒親方(元関脇逆鉾)が指導したのは「逆襲の隙を与えるな。前に出る地力をつけろ」。だから、業師は技を捨てた。
押す圧力で相手を制御できるようになると、小手先だけだったうまさは、上位に通じる迫力に化けた。モンゴルの先輩の日馬富士は「何をやっても、それが相手に効く『決め技』になるようになった」とうめく。
「稽古場でやったことしか、本場所では出せない」。鶴竜の信条だ。1回目の大関昇進がかかっていた昨年の秋場所は、中日までに4敗し、夢を逃した。「気持ちの面で、あの経験が一番生きた」。失敗を糧にしてきた実直な男のつぶやきに、実感がこもった。
(野村周平)
同日同紙面より:
バスケ少年 こつこつ10年~モンゴル相撲経験無し■体重65キロから
モンゴル相撲の経験のない少年が夢をつかんだ。「ああ、勝ったなと」。支度部屋で笑顔は見せない。いつも通り、ぼそりと言った。
幼い頃の憧れは、バスケットのマイケル・ジョーダン。でも、母国には本格的な指導者がいない。テレビで見たのが、大相撲で活躍する旭鷲山(現モンゴル国会議員)や旭天鵬だった。「ああなりたい」。14歳のとき、モンゴルで行われた日本の相撲部屋の選考会に出た。落選したが、諦めきれない。大学教授の父のつてで訳した手紙を相撲雑誌などに送った。「受け入れてくれたら一生懸命頑張ります」。井筒親方(元関脇逆鉾)の目に留まった。
2001年9月に来日。体重65キロで10キロも足りなかった。親方は最初「床山にでもするか」と思ったという。だが、3ヶ月で82キロまで増やし、新弟子検査に合格した鶴竜の笑顔を見て「こいつを育てなきゃ可哀想だ」と感じた。
26歳のいま、186センチ、148キロの堂々たる体に。「コツコツと」が口癖だ。今場所9日目、白鵬を2場所連続で破った。その日からずっと、師匠は同じ白ワイシャツを着て祈った。あと1勝で初優勝もかなう。「精いっぱい頑張る」。普段通りの淡々とした答えに、鶴竜の実直さがにじんだ。
(前田大輔)
初場所後から相撲ノートをつけ始め、ひげを伸ばすなどゲン担ぎをするのは「弱い人がすること」とすっぱりやめたという鶴竜(※師匠はゲンを担いでますが↑)。
真に強い力士が頭角を現しつつあります。期待しているよ~鶴竜!^^
記者会見、両手でマイクをつかみながらにっこりしている写真がかわいい鶴竜なのでありました(笑)
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