垣添&剣武引退会見その2
せっかくなので記事も・・・同じくmsn産経ニュースより。
「力出し切り、すっきり」元小結垣添ら引退会見
25日に引退した大相撲元小結垣添の押尾川親方(33)=本名垣添徹、大分県出身、藤島部屋=が26日、東京・両国国技館で記者会見し「自分の相撲を取れなくなった。でも、全部力を出し切り、すっきりしている」と潔い表情で話した。
押尾川親方と日体大相撲部の同期で藤島部屋に所属し、同じく25日に引退した元幕内剣武の宮本一輝氏(33)=埼玉県出身=も合同で会見した。宮本氏は春場所中に網膜剥離を再発。精神的に限界を感じたといい「(現役を)続ける方向で考えていたけど、治療とか手だてがなくて悔しい」と唇をかんだ。今後は実家の旅館を手伝う。
藤島部屋で後進を指導する押尾川親方は「(宮本氏と)大学時代からずっと、励まし合ってきた。まさか引退も一緒になるとは思わなかった」。宮本氏は「垣添関の稽古への姿勢を見て自分も幕内に上がれた。感謝している」と話した。
もうひとつは時事ドットコムより:
垣添「力出し切った」=同級生の剣武と引退会見-大相撲
現役引退した大相撲の元小結垣添(本名垣添徹、大分県出身)と元幕内剣武(宮本一輝、埼玉県)が26日、東京・両国国技館で記者会見した。二人は日体大の同期生で、ともに藤島部屋で育った33歳。垣添は「自分の相撲が取れなくなった。全部の力を出し切った」と話し、剣武は「関取としては1年半と短かったが、上出来の相撲人生」と振り返った。
垣添は気迫あふれる突き押しの速攻を磨き「体がない分、気持ちでカバーしようと思った」と幕内で活躍。網膜剥離などに苦しみ出世が遅れた兄弟弟子を激励し続けた。昨年、垣添が幕下に落ちると、今度は入れ替わるように十両に定着した剣武が垣添を励ました。
「時には厳しいことも言ったが、最後に逆転されたのもいい思い出。引退まで一緒になるとは」と垣添。剣武は「稽古の姿勢などを見習い、常に目標だった」と感謝していた。(2012/04/26-17:46)
NHKニュースウェブから抜粋:
垣添は、26日、東京・両国の国技館で開いた会見で、春場所を振り返り、「力が入らなくなり、結果も出ず、自分の相撲を取れなくなったことから、引退を決意しました。力を全部出し切って、今はすっきりしています」と、晴れ晴れとした表情で話しました。
印象に残った取組については、「デビューしてから引退するまでのすべての一番一番が、思い出の相撲です」と振り返り、地元大分県から受けていた声援に「けがをしたときも応援していただいて感謝しています」と話していました。
今後、親方として後進を指導するにあたって、「苦しいときも頑張れる力士を育てたい」と述べました。
会見には、大学の同級生で同じく25日に引退した、元幕内の剣武も同席し、「けがで入院していたときに、自分のためにも『勝ちたかった』と垣添が言ってくれた。あのことばがなかったら、ここまで相撲を続けられなかった」と、共に過ごした現役時代を振り返っていました。
同部屋でお互いに叱咤激励しつつ歩んできた11年だったのですね。
二人が入門した2001年といえば、鶴竜が角界へ入門希望の手紙を書いた年でもあります。
なんという・・・
これからの鶴竜と、これから別の道を行く二人。
3人に、幸あれ!
(写真は時事ドットコムより)
・・・写真見てまた涙が・・・(T_T)(T_T)(T_T)
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