「たかが十両」・・・?
そんな風に考えたこともない。
相撲記者さんの表現の仕方も千差万別ですが、事あるごとにどうしても神経を逆なでされる書き方をする方がおられます。
今回ばかりは心底キレそうになった・・・読んだ瞬間に。
それは元関取ご本人に対して向けられた言葉ではないので私がキレる話でもないのですが、一般的な考え方としてどうなのかと。
もう少し配慮した書き方というものがあるのでは?
しかも、「今日から相撲記者担当になった」わけでもないのでしょう?
結果、愛情を持って相撲界に接しながら記事を書く方と、そうではない方との違いなのでしょうけれど。
いや、それ以前に「他者に対しての敬い」が根本的にあるか否かではないかと思うのですが。
何をもって上から目線になれるのか?
書く作業というのは恐ろしいことです。
その人の品性や性格が否応もなくにじみ出てきてしまう作業でもある。
地位も年齢も、立場も関係なくその人の姿が見えてくる。
小説でも新聞記事でも関係なく。
言えた立場ではないことは百も承知で、憤りを隠せなかったので思わず投稿。
十両は「たかが」などという軽い言葉で語られるものではありません。
どれだけのお相撲さんがケガと闘いながら努力して、必死に這い上がってきて、その地位を勝ち取っていこうとしているのか・・・
目前にしながらも勝ちとれずに去っていくお相撲さんたちもたくさん、たくさんいるのに。
自分も数年土俵で戦ってみたらどうでしょうかね?(年齢的に無理でしょうけど)
言葉だけをこねくり回している人間が偉そうに意見していることがどうにも憤懣やるかたない。
言葉って・・・そうするために使うものじゃないでしょう?
北勝国さん。
私はどん底から這い上がってきた頃の貴方を知らないけれど、知らなくても北勝国さんを知った時から本当に貴方の相撲が好きでした。
もう、残念で残念でなりません。
今日、断髪式も佳境を迎えている頃でしょうか。
本当に本当に、お疲れ様でした。
これからの人生がますます幸多き人生でありますよう、心よりお祈り申し上げます。
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