安馬時代の日馬富士の言葉
もう一つ、初場所全般に関しての辛口な感想があるのですが(この際なので春場所前に吐き出してしまおうかと)、その前に今から9年前(まだ21歳)の日馬富士=当時の安馬、が当時どのような思いで相撲をとっていたのか、を紹介しようと思います。
自分自身の精進はもちろんのことながら、日本人が強くならない限りは大相撲も盛り上がらない、と誰よりも感じ取り、理解していたのも他ならぬ安馬だった。
そんな強い思いを持ちながら、小さい体には致命的ないくつもの大怪我を乗り越え、少しずつ体を大きくしていった日馬富士が横綱にまで上り詰めたのは、必然のことだったのではないでしょうか。
今から5年ほど前にも、大関時代の日馬富士はある名士が集う某パーティーで
「みなさん、どうぞ稀勢の里を応援してやってください。彼のような相撲とりが強くならなければならない。彼を応援して支えてやってください」
と挨拶したそうです。
そこに居合わせた某有名芸能人がその言葉に感動し、初対面だった日馬富士がそのパーティー会場で彼に挨拶し、「ひとつ教えてほしいことがあるんです」と言った。その芸能人は、何か芸能裏話のようなことでも聞きたいんだろう、と思って話を促すと、日馬富士から出た言葉は
「自分はまだ日本の文化のこととか、日本のことが今一つわからないところがあるのだけど、僕が現役の間にできることは、どういうことがあるでしょう?」
というものでした。
そんな力士に出会ったことがなかったその芸能人はびっくりし、思わず襟を正した。
そんなエピソードを知った時、日馬富士の素直さと社会人としての使命感、自らの立ち位置に対する理解度を思って目頭が熱くなりました。
日本人がもっと死ぬ気で頑張っていれば(頑張っていないとは言わないけれど、安馬と同じように血を吐くような稽古を行いながら、精神的に鍛え抜かれた力士はいるのだろうか?)、モンゴル出身力士が一部の人たちに色眼鏡で見られることもなかったのでは、と思うのは私だけでしょうか。
三人のモンゴル出身横綱が誕生したのは、必然のこと。
彼らを超える(互角に戦える)心と技と体を持った日本人横綱の登場を私も願います。
« 千秋楽後のわだかまり | トップページ | 寅さんの威力&iPhone用代替アクセサリ&朝日山部屋が伊勢ヶ濱部屋へ合流 »
「大相撲」カテゴリの記事
- 2020年の6月中旬です(2020.06.16)
- すっかりご無沙汰してしまい(2019.06.17)
- 平成30年(2018年)大相撲一月場所(初場所):NHK大相撲中継解説者一覧 ※随時更新(2018.01.12)
- いざ国技館へ(2017.09.23)
「日馬富士(安馬)」カテゴリの記事
- 2020年の6月中旬です(2020.06.16)
- すっかりご無沙汰してしまい(2019.06.17)
- 千秋楽を(2017.07.24)
- 明日の碧山と日馬富士に期待します(2017.07.22)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
« 千秋楽後のわだかまり | トップページ | 寅さんの威力&iPhone用代替アクセサリ&朝日山部屋が伊勢ヶ濱部屋へ合流 »
遅くなりましたが、コメントさせて下さい。
それから、ツイッターのフォロー、有難うございます(*^_^*)
ただ、皆さんのツイッターを読むために登録している次第で
そもそもスマホも持っていないのでリツイートはしていませんので申し訳ありません。
みしゅらんさんに比べてまだ相撲ファン歴が浅い私です。
ご存じだとは思いますが、私が聞いたところによると
日馬富士はお父さんから常々言われていたそうです。
「衣食住が足り、余裕が出来たら他人のためになることをしなさい」と。
そして、子供たちへのボランティアをずっとしていると聞きました。
伊勢ヶ濱部屋では、弟子たちに相撲を指導しているのは
日馬富士と誉富士で、空気が緩んで来たら安美錦が気合いを入れるらしいです。
宝富士と照ノ富士はマイペースらしいですが(笑)
日馬富士は横綱になる前には、張り手が多くてまるでケンカのようだと批判されていましたが
横綱になってからはちゃんと修正していますよね。
私も安馬の時から好きだったので、日馬富士に関してはいろいろと気になって
その時々の解説なども覚えています。
(ただ私は難聴なので、ほとんど字幕に頼っていて、全部は聞き取れませんが・・・)
今横綱は三人いますが、日馬富士の人間味が本当に大好きです。
鶴竜も嫌いではないですが、もっと自信を持って欲しいです。
相撲界では一番人柄が良いと言われている鶴竜ですが
勝負の時はもっと闘争心を剥き出しにしても良いのでは?と思います。
日馬富士がこんな若さで、このような事を言っていたのは全く知りませんでした。
(まだ、テレビを見るヒマもなかった頃なので)
やっぱり日馬富士、大好きです!!
投稿: ルード | 2015年2月 2日 (月) 18:14
ルードさん>
ツイッター、フォローいただいているのに気付いておりませんでした。
最近、フォロワーが知らないうちにえらく増えてしまっているので、基本的にあまりフォロー返しもしていないのです。
交流のある方、共通点のある方はフォローする、という感じでしょうか。
呟かない方も多いのでオーケーですよ(‐^▽^‐)
私の大相撲ファン歴…そんなに長くはありませんです(^_^;)
おそらくルードさんのほうが長いのでは?
私が大相撲を真剣に見るようになったのは(時間的にもテレビを見られるようになったことが大きいのですが)、安馬が日馬富士になってからのことです。安馬時代は私もなかなか中継を見られず…
日馬富士がモンゴルで育った環境の影響は、計り知れないものがあるのでしょうね。
ご両親にとても愛され、素直に育った人なのでしょう。
そしてご家族の一人一人を尊敬し、ご両親に恥じないような生き方をしていこうとする姿勢が感じられます。
純粋なものを持ち続けているって大切なことだな…と、この横綱を見ていて思うのですよね。
伊勢ヶ濱部屋の稽古は私も一度見学する機会に恵まれましたが、おっしゃる通りの感じでした(笑)
誉富士は盲点だったな〜。気付かなかった。その日はたまたま宝&てるサイドだったのかしら…
今年のお正月に横綱から喝を入れられた後の照ノ富士の稽古風景が、現在どんな感じなのかは知りませんが、「安馬」と比べたら今でも100倍甘いかもしれません(笑)
日馬富士の張り手、初場所は激減しましたが、今でも時々見せる張り手はものによって「余計だよ!」と一人で怒りながら見ていることもあります(流れの中の一発はともかく)wそんなことしなくても勝てるだろ!とツッコミたくなるんですよね(^_^;)
いつだったか、妙義龍関に張り手三昧だった相撲もありましたよね?あれには正直げんなりしたのを覚えています。
今年の初場所のような相撲がこれからも続けばいいな…
(ファンといえども全てを受け入れられておりません(^_^;))
大関時代ってもっと張り手が多かったんでしたっけ。なんだか今となっては横綱になってからの相撲のほうが印象が強すぎて、記憶がかなりあやふやになっております…横綱でも場所によって多いなと感じるということは、以前は相当出ていたのでしょうか(>_<)解説も記憶に残っていない…(自分に都合の悪い記憶は抹消、のパターンか!?)
いずれにしても、横綱に昇進してからの日馬富士がますます好きでたまらなくなったのは事実です(笑)
大関時代は私も少し心が離れかけた時もあったのですよね。
でも今の日馬富士には大関時代とは違う責任感を持つ大人の風格を感じて、息子の著しい成長を見るかのように感激する日々を送っております(T_T)
鶴竜は時間が解決してくれるのではないでしょうか。まだどこか変なところに気を遣いすぎなのでは?と感じてしまいます。
相手によって闘争心の出し方にムラがありますよね。
でも初場所前に稽古ができなかったと言いながら二桁には乗せたわけで、いずれまた優勝できるハズ!
日馬富士の安馬時代、まだまだ私も知らないことだらけです。
いろいろと私に貴重なエピソードをおしえてくださる方々がいて、ありがたいです。(この記事もそのひとつです)
このインタビュー記事はブログだけではもったいないと思い、ツイッターでも紹介しました。
少しでも日馬富士のことを皆さんに知ってもらえたらいいな、と(・∀・)
そして思ったより反響があったことにびっくりしています。
記事を読んでいて思いました。横綱になるべき人だったのだと。
昇進が決まった時はそんな出来事を期待していなかっただけに、本当に信じられない思いで感動しっぱなしでしたが、ハル様が横綱として今も綱を張っているということ、今だに嬉しくて仕方がありません(笑)
投稿: 蒔右絵門 | 2015年2月 2日 (月) 23:05