EU移民問題を見ていて
ニュースも見ていなかったので、今日久しぶりに時間ができてEUの混乱をテレビで見て心が痛い。
他人事ではない話に色々考えてしまう。
自国の内戦が理由で脱出せざるを得ない、自分が何をしたわけでもないのに国境を越えなければならない人たち。
我々の場合はどうなのか。
島国の我々にも、隣国はある。
それに自国に内戦はなくとも、何かの拍子で(原発が真っ先に思い浮かぶ)住めない日本を作ってしまったら…
自然をコントロールできると、空から何も落ちてこないと、地下から何かが突き上げてこないと誰が断言できるのか。
全ては人災。
一言では決して片付けられない根深すぎる問題に加え鬱々とした天気も相まり、物理的に心臓が痛くなっている…
来日したイタリア人とも、このニュースがあることを知らずに移民問題の話を少ししていたところでした。
ただでさえ失業率が高く、若者が仕事を持てずに国外へと流出しているイタリアで、難民流入はやはり非常に厳しい問題。
きちんと裏をとる確認作業をしないとなりませんが、その人の話によると、移民が上陸する地域(シチリア)では住民一人一人の金銭的負担も大きいらしく(それとも国民一人一人?)…その金額に目が丸くなりました。本当だろうか。
(やはり裏をとらないと…いい加減な記事ですみません)
難民受け入れでホテルが満室、観光客を泊められず、というシチリアの一部地域。
一方で、イタリア人がやりたがらないような仕事をやってくれるのが移民だ、と感謝している北部イタリア人にも会う機会がありました。
イタリアにはカトリックの総本山、ヴァチカンがある。キリスト教がある限り、難民受け入れを拒否するわけにもいかない。
ヨーロッパ全体の動向が気になります。
もうイタリアを離れて私も10年になるので、彼の地の実感を肌で感じることはできません。
それでも、戦争とそれに付随した問題に限らず、世界中が今さまざまな面からあらぬ方向に向かっていることは、日本に住んでいても(もちろん日本を含めて「世界」なので…そして日本のあらゆる政策もまた…)感じますし、薄ら寒ささえ覚えます。
この天下泰平な表の顔の裏で、どれだけのことが準備されているのか…
ヨーロッパの難民問題の次にタレントの結婚話にいきなり変わるテレビ番組を見ながら、複雑な気分に…(テレビは父がもう早々に消したけど)
そんなことを考えながら、私も次には大相撲の記事を久しぶりに書こうと思っているので同じ穴の狢ではあります。
この天下泰平を日本中の人たちが、世界中の人たちが隅々まで共有できたらどんなに幸せなことだろうか、とも。
人は今、いったい何のために戦うのだろう。
人が憎しみを持って争い合う暇があるほど、実は地球は待ってくれない地点に到着しつつあるかもしれないのに…
粛々と日々を過ごしていくしかないのでしょうか。
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コメント
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こんにちは。
読売オンラインニュースによると、ローマ法王が難民について、「欧州の全ての教区、修道院、教会は、それぞれ1家族を受け入れてほしい」と呼びかけたそうです。
ちょっと感動してしまいました。
積極的平和主義って、こういうことを一つ一つ実行していくことではないのでしょうか。
バチカンでも2家族受け入れ、また欧州には5万以上の教区があるということです。
投稿: いく | 2015年9月 7日 (月) 22:16
私も同じです。
さまざまな問題が世界中に溢れ返っているのに
楽しいことばかりを考えていようとする。
まさに、現実放棄です・・・
相撲記事でも、本当はあの事件が心の底で引っかかっているのに。
いろんなことが気になりながらも、自分一人では何にも出来ない。
出来ないというより、何もしようとしない。
でも実際、力のある人や著名人でもない限り
ちっぽけなブログをやっているだけでは
発信してもきっと誰も振り向いてくれないだろうという寂しさ。
自然災害ならまだしも、戦争なんていう愚かなものが
何故無くならないのか、本当に不思議です。
何で人と人とが殺し合いをするんだろう。
言葉の壁というものがきっとそこにはあると私は思います。
そして、習慣の違いなども。
意思疎通が出来ないものは、きっと分かり合うことは難しいのだと・・・
いろんな問題はありますが
私は私にできること・・・相撲記事をアップすることしか出来ません。
投稿: ルード | 2015年9月 7日 (月) 23:26
日本にいると、難民と言うのは遠い世界のことに思えますが、考えてみれば福島原発事故によって避難された方たちって、事実上難民ですよね…。
環境庁の白書では、福島全体で15万人強だったとか。
(うち県外避難が6万弱とか。自主避難の人が含まれているかは、わかりませんけど)
西アジアからヨーロッパへと避難する人たちを受け入れる国々も大変じゃないかと思っていましたが、福島での数を考えると、なんだか大丈夫じゃないかとも思えたり。
(ニュースでは現時点でドイツに36万人と言う数字を見た気がしますが、EU全体として受け入れるなら、と言う意味)
EU加盟国によって難民対応に温度差があることって、例えば日本が未だ藩制であったとして、藩によって福島原発事故難民に対する対応が違う、みたいな状況に比較できるんじゃないかとも、思えてきたり。
(こう考えると原発事故って、本当に戦争に匹敵するものじゃないかと言う気がします。起きてしまうと自然災害よりも遥にたちが悪いですし)←最近は原油価格が下がったので、原発が稼働しなくても大丈夫になったという話を聞いた気も
他人ごととして捉えてしまうか、自分事として捉えることができるかによって、対応は変わってくるのでしょうね。
(イタリア南部の難民の方たちと言うのは、北アフリカから海を渡ってきた人たちのことですよね。シリア難民がニュースで取り上げられる以前から、ニュースや特集とかで見てました)
現状ですと「正直者が馬鹿を見る」的な感じが、すごくいたたまれない気持ちです。
去年くらいまででしたら、終戦記念日位を境に戦争についての報道はなくなっていた気がするのですが、今年は未だ見かけます。
戦後70年の節目と言う理由なのか、それとも安保法案を意識してのことなのか。
(ああ、9.11ももうじきですね…)
こないだたまたま見たNHK「所さん!大変ですよ」で陶器製の手りゅう弾のことが特集されていて、見ながら切なくなって涙が止まらなくなってしまった自分にとっては、ちょっとしんどいですが、必要なことなのでしょうね。
日本の戦時下におけるひもじい体験。
北朝鮮で暮らさざるを得ない人たちって、同様の体験を長く続けているのだろうかと、想像してみたりもしました。
(しかも彼らの場合、国外に逃れることすら命がけだという…)
自分の身近な体験と結びつけることができることによって、遠い国の戦争を、あるいは遠い過去の戦争を、リアルに感じることができるんじゃないかと、思います。
投稿: まるひげ | 2015年9月 8日 (火) 06:04
NHKスペシャル「巨大災害 メガディザスター」を見ていると、世界が連携して何とかしないといかん時代に入っているのに、人間はいまだに自分の利権や主張で争っていて、「なんて小さいんだ!」と思ってしまいます。 そんなことしてる場合じゃないのになあ・・・。
どっちにしろ大変恐ろしいことですが 「第三次世界大戦」前夜になってますよね・・・。
あらゆる知恵を絞って 今が戦前であることだけは避けたい!
投稿: まーがりんろーる | 2015年9月 8日 (火) 14:12
いくさん>
現在のローマ法王はこれまでの法王とまったく違うタイプの方で、ローマの街中にも側近に何も言わずに歩き回ってしまうことがあるとか…アッシジの聖フランチェスコと同じ名前であり、質素を信条とする庶民派教皇だそうですね。
教皇に選出されるまでの経緯もそうですが、自らの父親もまたイタリアからの移民であり、そのコメントがお仕着せの大義名分ではないことも伝わってきます。
積極的平和主義…本当にそうですね。
今は欧州もキリスト教離れが加速していると聞きますが、信者ではなくとも同じ人間として、法王の言葉に共鳴する人たちが実際に地道に行動を起こしていく…そのプラスのスパイラルが負に打ち勝つことを願いつつ…
自分にも何か小さなことでいいからできることはないだろうか、と考えています。
投稿: 蒔右絵門 | 2015年9月 8日 (火) 17:38
ルードさん>
お気持ち、痛いほど伝わってきます。
庶民は時々ぼやくことしかできない。あるいはあえて目を逸すか。
先週は角界でも、私が知らないうちに嬉しいこと、悲しいこと、残念なことが立て続けに起こっていましたね。
我々一般民ができることは限られています…何事もなく過ごせる時間を持てるということに日々感謝しながら過ごすことが、我々のできることとも言えるのかもしれませんね。
豊かな自然がある国、そうではない国。
そして言語の違い。長い長い歴史が積み重なった結果としてひずみが生じてしまった国。
とても一言では片付けられない様々な状況が渦巻く中、最も恐ろしいのが洗脳なのかもしれません。
自分が行うことを信じて疑わない…それを信念と呼んでいいものなのか。
国や世界を統べようとする人たちが目指すものが私にはわかりません。
人間は地球に住まわせてもらっているだけなのに。
内にしまっておくにはあまりに苦しく、独り言のような記事を書いてしまったので、皆さんからコメントをいただくつもりはありませんでした。
でも、多くの人たちが同じような気持ちでいるのでしょうね。
投稿: 蒔右絵門 | 2015年9月 8日 (火) 17:55
まるひげさん>
やはり、言語と生活習慣がまったく違う人たちを受け入れるというのは、同じ日本の中でも難題はあるのに相当な負荷がかかることなのではないでしょうか。
しかも、難民のインタビューを聞いていると、もう自国に戻ることは全く考えておらずドイツへの定住を前提にしていたり…
一時的な戦争ではなくこれまで4年以上も続き、終わる様子もなければ、それはもう受け入れてもらった国での定住を考えるしかありませんよね。
そうはいっても100年後には住めるようになるかもしれないシリアに対して原発は、事故が起きれば完全にその土地を放棄せざるを得ない。しかも人間に限らず地球環境に与える影響も普通の戦争の比ではない…
シリアから欧州への流れに関して話を戻せば、難民のふりをしてISが流入してくることもあり得ます。
そして、難民を受け入れた国の住民が全員難民に好意的かといえば、元から自国で憂き目を見ている生活をしている人たちからすれば、彼らは敵でしかない。
物分りがいい人たちばかりではないのが人間社会。
私が恐れるのは、今後欧州各地で人種間の小さな衝突が日常的にこれまで以上に頻発し(極右も増えている中)、そこから大きな流れに向かってしまわないだろうか、ということです。
その火種はアジアにも無きにしも非ずですし。
私は知らなかったのですが、今日本にもシリア人が400人以上暮らしていて、うち60人が難民申請をしている中、今まで日本政府に難民として認定された数はわずか3人だそうですね。
そしてそれこそシリアと隣国のアラブ諸国は難民受け入れに消極的です。
それぞれがそれぞれの理由で、異物が入ることで自国の秩序が乱れることを恐れている…特にアラブ諸国はISが身近なので尚更なのでしょう。
シチリアへは毎日千人単位でアフリカから難民が押し寄せる時もあるようです。
江ノ島に毎日千人命からがら逃げてくる人たちがいたら。着岸できればいいのですが、何百人と命を落とすことも日常茶飯事です…
しかも言葉が通じない。でも受け入れなければならない。
大陸で地続きのヨーロッパは、それを繰り返し行い続けて今に至ります。
そして今、第二次世界大戦以来の民族大移動が起きている。
世界中が頭を悩ませている中、一庶民が一晩で答えを出せるようなことではありませんが、戦争はどの国でもいつでも起こりうること、立場が逆転する日も無きにしも非ずであるということ、想像力を働かせること、それを肝に銘じて過ごしていくしかないのですが…
複雑です。
自分の故郷で人々がそれぞれ平和に暮らせる世界を望みたいものです。
投稿: 蒔右絵門 | 2015年9月 8日 (火) 18:28
ろーるさん>
私もいつもそれを思います…
そんな暇どこにもないのに…
人間同士の第三次世界大戦どころか、地球対人間の世界大戦に突入している今、ちっぽけな人間たちは宇宙人たちから見ればまな板の鯉ですよね。
戦いがスポーツの世界だけで済む人間界になるのは、夢のまた夢なのでしょうか。
週末からは戦いの中にも礼儀ある大相撲に没頭できるよう切に祈ります。
投稿: 蒔右絵門 | 2015年9月 8日 (火) 18:32