いい加減にしろ白鵬
こんな土俵と相手と客をバカにした横綱見たことないよ!!!
見たくもない!!!!!!!
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コメント
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こんにちは。御無沙汰しています。
私も全く同じ気持ちです。ネットニュースのコメントなどで「技として存在するのだから、何が問題か」というような書き込みをする人がいますが、大相撲は”美”であるかどうかが「あり・なし」の判断基準だと、私は思っています。上位の変化技や取組後のにらみ合いなど、全て”美しくない”から批判されるのです。客席の手拍子なども同様です。
こういうことをされると、言いたくないけど、やっぱり日本人じゃないから分からないのかなあと思ってしまいます。
とは言っても、休場明けにも関わらず、他がだらしがないから遊ばれちゃってるのであって、白鵬本人を擁護する気持ちはさらさらありませんが、そこらへんにも原因はあるなあと思いますね。
投稿: 蒙御免(ごめんこ.うむる) | 2015年11月19日 (木) 16:28
ごめんなさい、題名に反応してこちらにコメントしてしまいましたが、その後にも記事を更新していらっしゃいましたね。
お怒りごもっとも。昭和生まれの相撲好きは、力士に武士の姿を見るのです。軽薄とはま逆のもののふを、です。
投稿: 蒙御免(ごめんこ.うむる) | 2015年11月19日 (木) 16:50
蒙御免さん>
大変ご無沙汰しております。こんな記事にコメントをいただき大変恐縮しております。
記事更新時刻からお察しのように、あの一番が終わった直後にたまらず心の叫びをぶちまけてしまいました。
でも気持ちは変わっていません。
その日の朝に「こんなのどうだろう?」と白鵬が横に飛ぶような動きを笑いながら稽古場で見せていたそうですね。
この記事が本当のことを書いているのなら、もう重症だなと思わざるをえません。
そして、それを助長させてしまった周囲の力士たちという見方もありますし、そのもっと深いところでやはり私は朝青龍の影響を考えざるをえません。
朝青龍という人間が好きであっても、彼が相撲界に残した爪痕は限りなく深い。
そして、それをコントロールできなかったのも師匠と協会です。
生まれ持ってのやんちゃ坊主を押さえつけすぎても、せっかくの才能が陳腐なものになってしまうし、押さえつけること自体もあの性格、そして実際に強すぎた(もちろん努力あったうえでの)朝青龍には無理だったのでしょう。本当に親方衆は苦労したことと想像します。
そうは言っても、「相撲美」や「相撲道を尊ぶ」という大相撲総体として先人が練り上げてきた心とそれを体現した形を最後まで朝青龍が理解できなかったことがなぜなのか、誰も教え込むことができなかったのか?
それが外国人だからなのかといえば私には個人差としか思えないのですが、もう少しうまく教えられる人はいなかったのか?という気持ちもあります。
白鵬には、最強横綱としての実績、絶えざる努力への自負、社会的貢献度、モンゴルの大横綱の息子としてのプライドもある一方で、朝青龍の奔放なスタイルからくる影響もないとはいえない。でも、もともとそういう部分が白鵬の中に存在していたのかもしれない。いや、存在するように感じます。
それにしても分かりやすい朝青龍に対して白鵬は、未だに真意がわからない。白鵬関連の本を読んでもストンと落ちない。優勝インタビューを聞いても心に響かない。
これはなんなんだろう、と数年ずっと考え続けてきました。
もう、お手上げです。お手上げといいつつ、今でもわかりたいと思って理解しようとしています。でも白鵬の体と同じくのれんに型押しが今の状況です。そこへきて栃煌山戦です。
勝ち続けることの過酷さは計り知れないこととは思います。
でも、それは置いておいてもなぜあれだけ勉強熱心なのに妙な発言をしたり本場所土俵で変なことをしたりとなってしまうのか。自分がこの世で一番偉いと思っているのでしょうか?それこそこんな政治的な言い方はしたくありませんが、まるで中華思想です。
私はあいにくリアルタイムでは見ていませんが、高見山から始まるハワイ人力士たちは決して相撲美と武士としての心をないがしろにしなかったと聞きますし、映像を見ても白鵬のような驕った態度はみじんもみられません。
武蔵丸のインタビューを読んでも、人間として、一力士としての立派さに感動します。日本人が大切にしてきたもののにおいが武蔵丸からは漂ってきます。そしてそれは、おそらく世界が共通して大切にするべき尊いものでもあります。
今幕内にいる阿夢露にも、何かそういうにおいを感じます。道はヨーロッパで言えば騎士道精神、ジェントルマンも厳密には違っても、相手に礼を尽くすという意味では一緒です。
ではモンゴル人はどうか?と言われれば、旭天鵬と白鵬は同じ穴の狢か?と私は問いかけます。
自分の言葉にしようとするとうまく言えませんが、思いはエッセンスを詰め込んでくださった蒙御免さんのコメントの通りです。
今、白鵬に限らず土俵内外がいろいろ端々で荒れています。私が見たいものが雑多なものでどんどん埋もれていきそうで悲しい思いです。
投稿: 蒔右絵門 | 2015年11月19日 (木) 19:15