千秋楽を
千秋楽を「気楽に」取れる横綱の心境って、わからない。
完全に未知の世界。
その気持ちの余裕。
「挑戦者」という気持ちは「横綱」という地位に縛られないうえで大きなキーワードなのかもしれない。
日本が「道」の根幹として大事にしてきた価値観と先入観を捨てた姿。変幻自在。
「勝つ」それが全てである姿。
もちろん、誰にもできない努力を否定するつもりはない。むしろ心より敬意を表したい。
けれども・・・と思う自分は「求めすぎ」なのだろうか。
39回も優勝し続けてきたからこそ到達できた姿と境地なのでしょう。
こんなにも過去の(いえ、過去のものにしたくはないけれど)横綱像に縛られないでいられることほど強いものはない。
サンデースポーツは見ていません。
優勝した日に失礼を承知で書きますが、将来的に「大横綱」の引き際がどのような形になるのか・・・
私は、数日前から白鵬のことを考える時、その来たる日を想像するだけとなっている気がします。
歴代横綱の引き際と一線を画すものであろうことは確かでしょう。すでに一線を画する存在なのだから。
翻って西の横綱・日馬富士。
「気楽に」という言葉が誰よりも似合わない力士中の力士。
横綱、千秋楽の結びまで「日馬富士」の姿を見せてくださりありがとうございます。
文字通り精も根も尽き果てるまで戦い抜いた15日間、今になってこみ上げすぎるので、正直深く考える気力もありません。
日馬富士という力士が千秋楽の土俵に立っていることが、どんなにありがたかったことか。
身体が根を上げていても、頭脳と精神力と魂が場所を追うごとに輝きを増していくのは何故なのでしょうか。
この世への感謝を常に忘れず、与えられた体を神様にお返しするまで使い切ろうとする懸命の姿ほど神々しいものはありません。
九月場所を15日間取り切れば、ちょうど5年という節目。
名古屋場所が終わったこの日にそんなことを考えるのもフライングですが、来場所も「大横綱に21回勝った」横綱の矜持が見られることを切に願いつつ。
まずは心と体をゆっくり休めて、出し切った命に栄養を。
解説席で師匠が口にした言葉「まだまだ優勝できる」を信じています。そのためにも頑張ってくれた身体を存分に労ってあげてくださいね。
コメント返信できておらず申し訳ありません。
後日返信させていただきます。
先場所のように記事は書けませんでしたが(場所後記事も結局書きかけのまま放置状態です・・・)、今場所も大変お疲れ様でした&ありがとうございました。
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